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わたしを殺すことはわたしを救うことだったりもする

誰かの文章で、どうしようもなく恥ずかしくなることがある。

首元まですっぽり覆って、見たり言ったりすることから守ってくれるような、私だけの隠れ穴があるなら是非とも入りたいと思うことがある。

noteをちゃんと使い始めてから1ヶ月が経って思うのは、感受性に貪欲な人の多いこと。気になる人の声をこっそりと盗み聞きしていると、素通りしがちな感情の揺れから思考を広げていたり、思い切って旅に出て世界を知っていたり、恋愛や人生とは何なのか考えさせるような物語を綴っていたり、自分だけの新しい感情に触れて、自分の声で語っている人がほんとうに沢山いる。

毎日更新される誰かの文章を読んでいると、私の幼稚さを思い知らされる。まるで怪我をしたときに「みて!みて!」と傷口を見せびらかす子供みたいだ。「大丈夫?」と心配されたいのか、「泣かないで偉いね」と褒められたいのか。まあ、実際にそんなことをする子供がどれほどいるのかは知らないけれど。



私は、私の辛かったことをぐちぐちと連ねているだけだ。

別に、誰かに寄り添って欲しいわけではなくて、泣いて欲しいとも励まして欲しいとも思わない。ましてや誰かの心を動かせるとも思っていない。テレビの中でむせび泣いている彼女の悲しみは私にとって他人事だし、私にとっての大きな悲しみは誰かの涙を誘うようなものではないから。

「じゃあ何故書くのか」と言われたら。それはたぶん、生々しい感情を腐らせるため、だ。

私にしか見えない傷口、私にしか感じれない痛み、私が私で生きているからこそ生まれた苦しさ。暗闇に突き落とされて心がどよめき立ち、音や感触を確かめながら恐る恐る歩いている。たまに光のような希望を見つけてはすぐに打ちひしがれて、進んでいたつもりが何も進んでいないことに気づき落胆する。鮮度のたかい絶望。

今ここで生まれた感情は今ここでしか生まれなかった感情であって、生まれたときのまま保存しておくことはできない。同じ気持ちをもう二度と知ることができないと思うと、せっかく生まれた悲しみさえ愛おしく思えてくる。

だからこそ、いつか読み返せるような文章にしたい。そうして綴っていくうちに、だんだん願望や妄想が混じって、事実から離れた夢物語になる。経験との距離が広がれば広がるほど、記憶も上書きされて、まるでエンディングが私の身に起きたことのように感じられるのだ。バッドエンドで幕を下ろすたび、悲劇のヒロインの味をしめる私は、また悲劇を求めるようになる。悲しみは、さらに大きな悲しみでしか薄れないようになってしまったみたいだ。

幾つものストーリーを書いているうちに、辛かった出来事が古いところから「若かったな」の一言で笑い飛ばせるようになる。と、祈っている。

かわいそうな私をぐさぐさと刺すことで、かわいそうだった私を成仏させているのだ。




そういえば、つい最近「二番目に好きになった人と結婚したほうがいい」と占い師に言われた。

言われたといっても直接ではなくて、母親がわざわざ山梨の有名な占い師のところまで赴き、ご丁寧に私の恋愛運まで尋ねてくれたらしい。

姓名判断だか六星占術だか分からないが、一番好きになった人と結ばれることはないという何ともお節介な予言をいただいた私は、なによりも恐れていた未来が現実になりそうで怖くなった。

「一番好きになった人」

これから先、私が他の誰かと結婚したとして、新しい命を授かったとして、幸せな人生をおくったとしても、ふとしたときにあの人と描きたかった日々を悔やんでしまったらどうしよう。一番好きな人と結ばれなかったことがしこりとなって、私の胸を蝕み続けたらどうしよう・・・。

そう考えると、なおさら、今の悲しみは一瞬も一言も逃さずに書き留めておきたいと思ってしまう。

そうじゃないと、身勝手に着色されて美しくなった思い出だけが、私の記憶に残り続ける気がして。友達に相談したり、写真を見返して泣いたりするのは、楽しかった瞬間への逃避でしかない。そればかり繰り返していると、さらに後悔だけが色濃くなる。だからこそ、それが事実とは距離が生まれたものであったとしても、「辛かった経験」として書き連ねるしかないのだ。




こうして誰に読まれるとも分からない文章で吐き出すしかない私は、ものすごく寂しい人間だと思う。

本当は私だって、拾ってくれた誰かの心をあっためる言葉を紡ぎたい。誰かひとりでも幸せにできる言葉を紡ぎたい。

そのためには、かわいそうな私を笑い飛ばせるようにならなきゃいけないような気がしている。崖の縁に追い詰められた素振りで、かわいそうな私をわざわざ演出するんじゃなくて、まっさらな道を胸を張って歩く私になりたい。

だからこそ、今は、かわいそうな私に尖った刃物を向けて、過去を殺していくしかない。それが結果的に私を救うはずだから。

次に産声を上げるときは、まっさらな太陽の笑顔のしたでありますように。










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