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パッションについて考える
思えば私はこれがいい!っていう
気持ちが希薄かもしれない。
空気を読んで
周りの顔色を伺って…
誰かの求める姿を演じることに徹して生きてきた。
だから自分の出し方がわからなくなっちゃったのかな?
気がつけば相手の空気と同化していて
相手の正解が私の正解…
そんなふうに思ってしまうこともある。
ずっと自分を探してきたけれど
見つかるのはいつも自分じゃなかった自分ばかり。
私のパッションは一体どこにあるんだろう?
これじゃなきゃ嫌!!
これだから好きなの!!
そんな魂から湧き上がるような
「情熱=パッション」を目覚めさせたい。
きっと…
いや、絶対に私の中にあるはずだから。
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追記
自分は何者でもないし、何者でもなれる。
もともと何も持っていなかったし、何も持って還れない。
お風呂に浸かりながら読んだ本の一文。
何かがあると思うこと自体が自分のエゴ。
パッションもすでにあるのではなく
瞬間瞬間湧き上がるもの。
そのエネルギーを出しきる。感じきる。味わいきる。
その姿が情熱となり自分を熱くさせるのではないか?
探すのではなく感じる。
全て魂が知っている。
私は安心してゆだねているだけでいい。
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