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私の心の日記帳。 意識の手放しで 心と体を整えて 内側から美しく スピリチュアリティ…

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私の心の日記帳。 意識の手放しで 心と体を整えて 内側から美しく スピリチュアリティに生きる。

最近の記事

私はここだよ

小さい頃。 幼い私が見た大人たちは いつもココにはいなかった。 過去や未来 誰かや何か いつもどこか遠いところにいたんだ。 「私はここだよ」 その呼びかけにうなずいてはくれたけど 私が本当に向けてほしかったものとは違った。 私は今ここにいる私の存在に意識を向けてほしかった。 明日の宿題を心配されるでもなく これまでのダメな所を指摘されるでもなく 今この瞬間ここにいる私の存在を見てほしかったんだよ。 意識を向ける =「愛」 だから私は全力で自分自身を 気にか

    • どう生きるかはどう死ぬか

      自分の生きた証を残したい。 そう思っていたのは何か残さなくてはと 自分の存在価値を他人に預けていたからだ。 外側に求め続ける限り不安は消えない。 残すのではなくゼロに戻していく。 持ち物があるから失うことを恐れる。 持ち物を増やそうとするから争いが生じる。 私は何も残さずに死んでいきたい。 「自分に正直にいつも全力で生きていたよね」 そんなふうに言われたい。 だからこそ逃げてちゃダメだ。 自分を生きよう。 仕切りなおしで何に自分の魂を 使っていきたいのかを考

      • 山羊座の満月(時差投稿です)

        「これが自分」だと 私の人生のほとんどを占めていた執着を手放す。 何者かになろうと頑張ってきた。 でもそれは何者かにならなくてはと 条件設定がなければ自分には価値がないって 自分に対して罪を着せていたんだよね。 その罪必要ある? 自分のために生きることが罪だとしたら なんのために生きているのか。 誰かのためならうまくいかなかったとき その人のせいにする。 何かのためなら失ったとき 永遠に言い訳し続ける。 そんな生き方私はしたくない! 私は私のために生きる。 自分の

        • パッションについて考える

          思えば私はこれがいい!っていう 気持ちが希薄かもしれない。 空気を読んで 周りの顔色を伺って… 誰かの求める姿を演じることに徹して生きてきた。 だから自分の出し方がわからなくなっちゃったのかな? 気がつけば相手の空気と同化していて 相手の正解が私の正解… そんなふうに思ってしまうこともある。 ずっと自分を探してきたけれど 見つかるのはいつも自分じゃなかった自分ばかり。 私のパッションは一体どこにあるんだろう? これじゃなきゃ嫌!! これだから好きなの!! そんな

        私はここだよ

          服を脱ぐこと

          服を脱ぐことが好き。 なんだか自由になった気がするから。 だけど最近、誰の前でもそうなわけじゃなくて 心を許した人・私の内側を理解してくれる人の 前でだけなんだなって気付いた。 たまにお仕事でヌードモデルもしているけれど ギャラが発生する分、期待に応えようとしてしまう自分がいる。 そうじゃないでしょ。 私は私。そのままの自分で良いはず。 お金によって私の価値は変化しないんだよ。 なのにそうしてしまうのは 私自身が自分よりもお金を上に置いているってことだよね。 そ

          服を脱ぐこと

          自分にとっての

          本当に好き、とか これじゃなきゃ、とか こうしたい、とか 正直言って分からない。 やりたいことはやってきたつもりだった。 だけどそれでも周りの評価を気にする自分や 悪く思われないための行動を選んでしまう自分。 私は弱い。 自分にとっての本当の好きを 改めて見つめるべきタイミングが来ているんだと思う。 もう周りに遠慮するのは止めよう。

          自分にとっての

          美しさ

          私にとっての美しさとはなんだろう? 容姿や体型、所作など 外側の美しさはもちろん 在り方や生き方、考え方など 内側の美しさも兼ね揃えて 私はとことん美しく生きていきたい。 そう願って努力を積み上げてきた。 なのに突然全てが色褪せてしまった。 私なのに私じゃなかった。 これが自分なんてものはそもそもなくて 誰かの望む私を演じていただけなのかもしれない… そんな想いが浮上した。 私にとっての美しさとは? このnoteでは誰のためでもなく自分のためだけに。 私にと

          美しさ