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【3分で分かる世界史】ローマの三頭政治から帝政の終わり#4

どうも、グラねこ🕶です。

今回は、ヨーロッパの歴史第四弾ということで、ローマの三頭政治から帝政の終わりまで解説していこうと思います。

また、三頭政治に入る前に共和制がありますので、そちらをご覧いただいてからの方が、流れがよりわかりやすくなると思います。

三頭政治には、二段回あります。

まず、第一回三頭政治は、カエサル、ポンペイウス、クラッススが担当し、カエサルがガリア遠征で成果を上げましたが、ポンペイウスがカエサルを殺そうとします。

しかし、カエサルはポンペイウスを返り討ちにし、終身独裁官(ディクタトル)=事実上の皇帝になろうとしますが、共和政を支持していた者達に阻まれ、最終的にブルートゥスに殺されます。

この時残した有名なセリフが「ブルートゥスお前もか」です。

その後、第二回三頭政治に入り、オクタウィアヌス、レピドゥス、アントニウスが担当します。

すると、アントニウスがエジプトの女王クレオパトラと手を組み、オクタウィアヌスを殺そうとしますが、アクティウムの海戦で返り討ちにされます。

ここから、帝政へと移行していきます。

まず、オクタウィアヌスが元老院から尊厳者(アウグストゥス)という皇帝の称号をもらうのですが、本人は、カエサルのことをみていましたので、市民の中の市民ですということを主張するために、プリンケプスと名のりました。ちなみに、この時の政治をプリンキケプスと言います。

その後、五賢帝の時代という200年間の平和が訪れます。これを、パックスロマーナと言います。

五賢帝は、ネルウァ→トラヤヌス→ハドリアヌス→アントニウス=ピウス→マルクス=アウレリウス=アントニヌスで進んでいきます。

ここで、抑えておきたいポイントを二つ紹介します。

トラヤヌスは、現在のルーマニア(当時のダキア)を征服し、ローマの最大領土を実現しました。
アントニウス=ピウスは、ローマ史上最高の統治をしました。

この後、「3世紀の危機」に入ります。

この時期の序盤は、最悪の暴君と言われたカラカラ帝が統治し、中盤は33年間で14人ほど皇帝が変わりました。これを、軍人皇帝時代と言います。しかし、後期になるとディオクレティアヌス帝が現れました。

彼は、専制君主政という皇帝=神として崇めよという政治をしました、すると、それに反発したキリスト教徒を弾圧しました。
また、ローマを東と西に分け、それぞれにNo.1,No.2を設けた四帝分治を実施しました。

しかし、次のコンスタンティヌス帝が、ミラノ勅令でキリスト教を公認しました。そして、現在のトルコのイスタンブール(当時のビザンティウム)にコンスタンティノープルと名付けて遷都しました。

その後、ローマの最後にテオドシウス帝が即位し、彼はキリスト教を国教とし、ローマを自分の二人の子供に西と東に分けて与え、これ以後ローマが再統一することはありませんでした。

これで、ローマの帝政が終わりました。

いががでしたでしょうか?
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他にも、記事を色々と書いていますので、気になるものをぜひチェックしてみてください。

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