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嫌いな人はいますか?
たくさんいますか?

嫌いをないものにしていた ちょっと昔のはなし

数年前 同僚でママ友で
頼もしいと思っていた友だちと一緒に仕事をはじめました。

友だちと一緒に仕事を始めると仲たがいをすると
以前の職場の社長に呪いをかけられてましたが
その通りになり。

ある日、「友だち 嫌い」と検索しました。
友だちを嫌いになるという感覚がわからなくて。

友だちというものはご縁だし、
大切にしなければいけないものだし、

機嫌を損ねてはいけないものだから。

そんな風に、思い込んでいました。
でも。

約束破られたよ?
ないがしろにされたよ?
わたしは彼女にとってどうでもいいってことじゃない?

もやもや。。
なんか、もう、会いたくないな。

え、これって、嫌いってこと???

ええ、友だちって 嫌いになっていいの?【混乱!】

当時は、友だちは嫌いになってはいけないものだと
思っていたのです。

今思えば、誰にもに嫌われたくないあまり、
周りの人たちのご機嫌にびくびくして、
下手にでて、相手の都合に合わせ、
自分の気持ちは見ないようにしていました。

先方は、わたしがこんなことになっていることに
全く気づいておらず、気軽な連絡が届きました。

”友だち 嫌い”でたどり着いたサイトでは
「嫌な気分になる相手とは距離をとっていいんだよ」
と書いてありました。

ようく考えた結果、
これこれこういうことが、わたしはイヤでした。
いっしょにランチしたり、
遊んだりということはしばらくしたくないです、
といった長い返信をしました。

そして、それについての返信はなく。

彼女は、嫌いな人になりました。

嫌いな人は、「なかったことにしている自分自身」だと知る

その後、ボディートークに出逢い、心理学に興味を持ち、
ライティング・ライフ・プロジェクトにチャレンジし、

環境は自分の内面を映し出す鏡。
嫌いな人はシャドーで、自分の中で抑圧されている部分、
なかったことにしている自分自身を
それもあなただよ?と教えてくれている。

ということを学びました。

そして、本当はのび太くんになりたい、と気づいてみたり
自分の中の認めたくなかった影たちを認識するように
なってきています。

即座にシャドーかも?と観察した実際の話

わたしはヨガのイントラで、30~50人くらいのグループレッスンを
担当しているのですが、その中に、
自分のやりたいことだけをやり、気に入らないことは態度で示す
という生徒さんがいました。

(ホットヨガで周りは汗だくの中、タオルを身体にかけ、
寒い寒いと無言アピール)

気になるなぁ、全然言ってること聞かないし、、
寒いのはホールドが甘くてちゃんとやってないからでしょぉ、
とムカムカ。

今までだったら、周りの生徒さんが汗だくでも
この嫌いな人たちにすら嫌われたくなくてびくびくして、
ご機嫌をとるような行動をしていました。
例えば温度を上げたりとか。換気を弱めたりとか。

が!今回は

これ、シャドーかぁ。
シャドーってことは、わたしのなかったことにしてる
内面が出てきてるんだよね?
何を教えてくれてるの?

彼女たちは、
自分の都合を最優先している
わたしがどう思うか?なんて全く気にしていない
ように見えました。

そうか~。
わたしは、相手の都合や気分よりも
自分を大事にしたいんだ~。
人を怒らせてもいいくらい、主張したいんだ~。

これらを教えてもらいました。

実は、「友だち 嫌い」の彼女も自分の都合を
優先してくる方でした。

わたし、自分を抑圧しまくってるのね。。。

ついでに、自分の中のコントロール欲や、
ヨガはしっかり自分に向き合うものという固定観念にも
気づきました。

彼女たちはわたしを怒らせるために行動している
わけではなく、わたしを成長させるために
ここに来てくれてたんだなぁとイライラは
おさまりました。

(でも、ちゃんとヨガした方が汗はかけるよ?とは思いますけど)

見つけた影とのつきあい方

あ、シャドーですねと、気づけるようになったり、
自己観察や自己認識ができるようになってくると
その後の自分の選択肢が増えます。

ただムカムカして感情の波にうわーっと持っていかれる
自分からちょっと距離を持てるようになる感じ。

選択肢が増えるのって、自由度がアップします。

嫌いな人に直接怒って、不愉快さを伝えてみるのも一つの手です。
相手はその行為についての認識が違っているかもしれないので
まず、「それは嫌いです。不愉快です」と知らせてみる。
ただし、けんかになるかもしれませんし、
人間関係がおかしくなる可能性はあります。
ちゃんと言ってくれてよかった、となる可能性だってあります。

怒るというのは、「わたしを大切にして」という気持ちが根底にあるので
そんなに否定しなくていいというか、悪者の感情ではないそうです。
(ただし、怒りをコントロールの手段にしてはいけないと思います)

見ないふりもできます。
これだと状況はあまり変わらないかもしれませんが
他の選択肢から「見ないふりをしよう」と決めたのは
自分なので、少しだけ余裕が生まれるかもしれません。

やりたいようにやってみる、という選択肢もあります。
これ、やられたらヤダ!嫌いだ!と思うことは
ほんとうはやりたいのに我慢していることなので
思い切ってやってみると、たぶんスッキリします。
ただしやっぱり倫理とか道徳とか、人の気持ちとかの
検討は必要ですよね。危険な選択肢かも。

嫌いな人が現れた自分とのおつきあい

「ああ、あなたはそうなんだねぇ」と一番大切な友だちの
ように自分に寄り添うという選択肢が穏やかかもしれません。

嫌いな人が自分だと受け入れるのはなかなかむつかしいです。
でも、嫌いな人は相手の中に見える、抑圧している自分の一部
なので、腹立つよね~嫌いだよね~と自分に寄り添いつつ、
具体的にどこが嫌いなんだろう?と、よく観察してみる。

隠れているのは、きっと、頭ごなしに、理由も聞かれずに、
だめだ!とされてきた自分の気持ちです。

嫌いな人を観察して、嫌いなポイントをよくチェックして、
そうかぁ、あなた(自分)はそうだったんだねぇ。
そんながまんしてたんだぁ。お疲れさま。
偉かったねぇ、、
と声をかけてみる。

そして、自分の中にそんな気持ちがあることに気づいて
受け入れると、どうやら影はいなくなるらしいです。
というか、気にならなくなる。

嫌いな人というのは、
我慢してたから、抑圧してたから、見ないようにしてたから
気になる、イライラする存在だそうです。

ただ、自分の中に存在することを認め、抑圧をやめたら
それで変わってくるそうです。
(まだ検証中)

よし、嫌いな人みつけよう、観察してやる!と
なれたら人生のツワモノかも。

今、ライティング・ライフ・プロジェクト0期と一緒に
書く瞑想をしっかりやり直してますけど、
人生のツワモノになるのに、
ライティング・ライフ・プロジェクトは
かなりよいつれあいになるなと実感してます。


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