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内向型の母が外向型の子どもを理解するって難しい①

内向型の母と外向型の子ども

今日は、持っている資質が親子で違った場合の難しさと、私がどのようにそれを乗り越えてきているか(まだ途上です・・・)、ということを綴りたいと思います。親子で似たような資質を持っている場合、親が子どもを理解する際それほど苦労せずに「何となく分かるわ」「そうやんな」と感覚的に了解できることが多いんじゃないでしょうか。長女は私と同じ内向型なので、何でそういう行動をしてるのか、この発言の意図は何なのか、ということが当たり前のように理解できました(とはいえ、違う人間なので、全部理解できてる、と思うのは危険ですが)。

でも、次女は外向型。私と思考回路が全然違うので、理解するのに苦労してきました。ちなみに、色々な学者が「外向型」「内向型」について違った視点で述べていますが、ここではC.G.ユングのいう外向型・内向型をベースに話します。

<簡単にいうと>
☆外向型・・・外側で起こる出来事(例えばニュースや周囲の人間関係など)に興味が向く。常識、一般的な考えなど外側のものを基準に行動する。
☆内向型・・・自分の内側に沸く思考や感情に興味が向く。自分の考えや気持ちを基準に行動する。

内向型の私が外向型の子どもをどのように理解していっているのか。その過程を一つお話します。一人でも共感してもらえる方がいたら、嬉しいなと思います。

何でそんなに「あれが欲しい」「これが欲しい」って言うの?

私がなかなか理解できなかったのが、次女の物欲でした。毎日のように、あれが欲しい、これが欲しい、って言うんです。テレビで見たあの玩具が欲しい、友達の持ってるこんな筆箱が欲しい、こんな機能の消しゴムが出たらしくて欲しい、こんな鉛筆削りが欲しい、こんなタイプの水筒が欲しい、白いタイツが欲しい、腹巻が欲しい、目覚まし時計が欲しい、こんな枕カバーが欲しい、赤いエナメルの靴が欲しい・・・・

最初は、「寂しかったり、心の中でどこか物足りなさを感じている心境を、『〇〇が欲しい』という形で表現してるのかな」と考えて、できるだけ次女との時間を取るようにしたり、次女の気持ちを何とか理解しようとあれこれ話してみたりしていました。それでも物欲が止まらない。う~ん・・・何なんだ??

特に、何年も欲しい欲しいと言い続けた、赤いエナメルの靴。私からしたら、「エナメルの靴なんて、発表会の時くらいしか履かんやん。年に数回かしか履かないものなんかに、お金を出すのはもったいない」「一時の物欲。そのうち消えるだろう」という思いでした。でも、あまりにも欲しい欲しいと言っていた、その願いが届いたのか、ある年とうとうサンタさんから赤いエナメルの靴が届いたんです(笑)

次女、めちゃくちゃ喜んでました。そして、お出かけの時に嬉しそうに履いていくんですよ。週1~2回履いているのを見て、目から鱗でした。「ほ、本当に欲しかったんや~。ごめん、次女・・・。」それは「心の中の物足りなさ」や「寂しさ」の表れでも何でもなく、本当に欲しいという意思表示だったのでした。あれこれ考えていたのは、内向型人間の私の単なる深読みだったんです・・・。そして、欲しかったモノをしっかり活用する次女。外向型の次女はモノを使いこなすのがうまく、手持ちの服とあれこれ組み合わせてアレンジしては、赤い靴を履きこなすのでした。「年に何回かしか履かんやん」というのは私の勝手な思い込みで、次女にとっては履きこなす自分がイメージできていたんですね。

素の欲求(外側の話)を受け止めることが大事

この件があってから、次女が欲しいと思っていて、ある程度実用的なものであれば(母から見るとムダ?と思えるようなものであっても)、この子にとって買ってあげることが心を満たすことなのかもと思うようになりました。次女の「〇〇欲しい」という意思表示そのもの(素の欲求)を私が真正面から受け止めることこそが(つまり「内心」を考えるのではなく外的な「モノ」自体について考えることこそが)、次女にとっては「自分の思いにしっかり向き合ってくれた」「分かってくれた」という出来事になるのかも?と母は思い直したのでした。

そして、この赤い靴事件以降、次女が「〇〇欲しい」と言った時に私が無下に断るのではなく、買ってもいいだろうと(私が)判断した物を買うようになったら、不思議なことに次女の物欲は徐々に収まっていったのでした(普通の範囲内に収まりました)。「〇〇欲しい」は「寂しさ」「心の中の物足りなさ」ではなく、外向型人間の素の欲求であり、素の欲求そのものを母が受け止める姿勢になったことで「自分の思いが分かってもらえた!」と感じたんだろうなと、実感するプロセスでした(この話、外向型の方が読んだら、めんどくさ~!!と思われるんだろな思いますが(汗)内向型は時に考え過ぎ)。外向型の次女が「欲しい」と言ったら、「心の話」(内側の話)なのではなく、本当に「モノが欲しい」(外側の話)ってことなんだな、ということが腑に落ち、それと同時に「内向型が外向型を理解するって難し~!」と感じたのでした。

外向型が「外側の話」をしているのに、内向型はついつい「心の話」だと思ってしまい、すれ違いが起きる。というお話でした。「人の身になって考える」のは何と難しきことかな。

おわり



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