日本文芸へのいざない
日本時間午前7時。今日も横浜の実家からイタリアにいるアンドレアとZoomを繋ぐ。noteのとある記事を画面共有して、僕は言った。
「ねぇ見て! kaekoikさんの新連載が始まったんだよ!」
※この記事(上のリンクの記事ではなく、今あなたが読もうとしてくださっているこの文章)は、日本人の僕とイタリア人の友人アンドレアがイタリア語で交わした会話を、日本語に訳したものです。
ほぼ会話のみで構成されているので、どちらの発言であるかを明確にするため、僕の台詞にはL、アンドレアの台詞にはAを、「」の前に付けてお送りしたいと思います。
A「『ダンテさんへ謡曲を紹介』... ダンテって、ダンテ・アリギエーリ? 『神曲』の?」
L「そうそう。おもしろい設定だよね」
A「『能とオペラ』だって。内容もおもしろそうだね。能とか歌舞伎は、名前くらいは知ってるけど... ”謡曲” って何?」
L「...僕が知ってるわけねぇだろ。それより、そんなに先を急がないでまえがきから読もうよ。ねぇ、この ”La lettrice scomparsa"(邦題:『読書セラピスト』)” って、おもしろそうだと思わない? 『悩める人々に文学作品を処方する読書セラピーの場面がかなりの部分を占めています』だって。僕も処方してもらいたいなぁ... どんな話を紹介してくれるんだろ?」
A「あぁ... それだったら、俺が君にぴったりな本を薦めてあげるよ」
L「お、なになに?」
A「聖書」
L「...どういう意味だよ」
A「...別に。続きを読もう。『すでに没しているイタリアの歴史上の人物に対してなら…(中略)… 耳を傾けてくれるのではないだろうか』だって。なるほど、それでダンテが選ばれたわけか。確かに、『少し』どころか、すごい興味を示すだろうね。ロベルト・ベニーニとかも喜んで聞きそう」
L「僕もすげぇ楽しみ。僕は日本人だけど日本のことあんまり知らないし、イタリアともつながりがあるし、一応、まぁ、趣味としてだけど文章っぽいものも書いてるからね」
A「俺も。こういうことに関しては君じゃ全然頼りにならないからな。こんな読みやすいイタリア語で解説を楽しめるのは本当に幸運だと思う。もう一年も前のことになるのか... SNSでこんな逸材を見つけてくるなんて、君の目もたまには機能するみたいだよね」
L「...言い方。でもさ、やっぱりすごいよね。ほら、ここに年間の予定が載ってんの。こんなにきちんと構成を考えて...」
A「君も見習わないとね。まったく、あんなに分厚い昔の小説を、まだ数ページしか読んでないのに、無計画にパロディなんか書き始めて...」
L「...まぁ、それに関しては何も言えないけど。僕のことはいいから、本編読もうよ」
A「そうだね。能とオペラには総合芸術という点で多くの共通点があるんだ... 14世紀というとイタリアではルネサンスの時代だね。文芸だけでなく様々な分野において古典古代の復興を目指したわけだけど…(以下略*)」
*アンドレアは歴史、音楽、演劇、その他芸術について、件の記事に書かれた内容を交えつつ、意気揚々と語っていましたが、自らのイタリア語リスニング能力の未熟さゆえ、彼の言っていることがほとんど理解できませんでした...じゃなかった、偉そうに知識をひけらかすのが癪に障ったので聞いてませんでした。
A「(前略)… と、俺は考えるんだけど、君の意見は?」
L「あ...えっと...その... "いわば能はオペラで、歌舞伎はミュージカル” っていう例えが、すげぇ分かりやすい...と思った...」
A「それは俺も思った!とてもいい例えだよね。ねぇ、ところで、本編の最初に載っていた写真のことなんだけど、このオペラ...どの作品の一場面だろう?」
L「さぁ... 『カルメン』じゃね? この女の子、髪にバラを挿してるし、横の男はエスカミーリョっぽい」
A「でも、この背景、酒場じゃないだろ...まぁ、いいか。それで、こっちの能の一場面はなんていう作品の?」
L「...そっちは想像もつかない。っていうか、能のタイトルを一つも知らない... あ! でも、この写真の人は、きっとコンメディア・デッラルテでいうコロンビーナ的な役回りの人だと思う!」
A「...”能はイタリアにおけるオペラほどの人気とはいえない” っていうのは確かみたいだね。ローリス、加えて君はこの文章の読解さえまともにできていない。面をつけずに演じられるのが ”狂言” だって書いてあっただろう。だから、この写真の人物がコロンビーナ的な役回りであることはありえないよ。この分だと、他の部分もちゃんと読めていなさそうだね。さぁ、画面をスクロールして最初に戻って。音読してごらん」