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デザイナー&クリエーターのLOPYUはものづくり活動を行なっています。 ロピュはいつだってワンアンドオンリーなのさ。 創作サイト「ロピュチャンネル」https://lopyu66.com/ 販売サイト「ロピュデザイン」https://lopyudesign.com/

最近の記事

クリエイティヴをめぐる話

僕がやっていることは 果たしてクリエイティヴか否か? そんな問いを持つことなんて、まずない。 ないのだが、ふと考えた。 答えはイエスだ。 しかし、同時に、そんなことはすぐ忘れる。 つまり言葉の響きは魅力的だが どうでもいいこと、ということになる。 はじめに、評価というのは、絶えず二次的であり 他人が下すものだ。 もちろん、自己評価、エフィカシーの高みにおいては 当たり前のように、クリエイティヴだと信じてやまない人間だ。 なぜなら、僕は常にクリエイティヴなものに反応してきた

    • 僕が好きな春をめぐる三枚のアルバム(ポップミュージック編)

      Idlewild:Everything But the Girl 1988 トレイシー・ソーンと、ベン・ワットの2人組からなるイギリスのネオアコポップ、EBTGことEverything But the Girlの1988年、通算4枚目のアルバムが「Idlewild」。EBTGはどれもいいんだけど、当時から、この時期、よく聴いたアルバムの筆頭に上がるのがこれ。まあ佳作といえば佳作、僕は好きなんだなあ、この感じ。我が青春の、このイギリスっぽい感性がたまりません。 Puzzl

      • 僕が好きな春をめぐる三枚のアルバム(エレクトロニカ編)

        Mercy Street Reminiscent Drive 1997 フランスの才人J・アランスキーのプロジェクト Reminiscent Driveファーストアルバム「Mercy Street (1997年)」 桜満開のジャケットに反応しないではいられず、 聴いたのは今から20年以上も前の話。 内容はエレクトロニカ、チルアウト系だけど どこかスピリチュアル的。 フランスのテクノ/ハウス系レーベルF Communicationsからのリリース。 The Bird and

        • 打線のデザイン学 その1

          野球というスポーツは、 単に打って走って投げて守って そして相手より一点でも多く点を入れるゲーム。 当たり前のことですが、 9人いてそれぞれに役割というか、 その兼ね合い、その妙が面白いスポーツでもある というのが、自分の視点です。 ここでは打順というものを、 一つの点を取るためのデザインとして考えてみたいと思います。 よって打線のみに限定いたしましょう。 まずは一番。 プレイボールがかかって、まず、誰より先に攻撃を仕掛けるバッター。 当然、打って塁に出ることが使命ですが

        クリエイティヴをめぐる話

        • 僕が好きな春をめぐる三枚のアルバム(ポップミュージック編)

        • 僕が好きな春をめぐる三枚のアルバム(エレクトロニカ編)

        • 打線のデザイン学 その1

          ボッティチェッリに誘われて

          仕事柄、アドビの定番ソフトイラストレーターに 長年世話になっていることもあって サンドロ・ボッティチェッリの『ビーナスの誕生』への思いは強く 親しみある存在として無意識にすりこまれている。 ただ、この絵に関してさほど深く考えたこともなく ただ漠然と過ごして来たのも事実である。 ところがちょうど、ソフトのイラストレーターから 表立ってあのビーナスが姿を消してしまっていると ざわめき立って以来、 何十年も過ぎているというのに そんなことも考えることもないまま ただ時間が過ぎてい

          ボッティチェッリに誘われて

          ジャケット考 その1

          ジャケ買いは、いわば音楽ファンの醍醐味だった。 好きな音楽の、好きなアルバムはたくさんあるけれど ただ、この一枚、というとなかなか出てこない。 そんな醍醐味を、ダラダラと語りはじめると それはそれでキリがない。 せっかくの醍醐味が大ゴミになってはつまらない。 春なので、春にちなんだ一枚はと思い巡らせて、 真っ先に、はっぴいえんど「風街ろまん」かな、 と勝手に思い浮かべている。 日本ロックの金字塔、であることは言うまでもない。 4人の顔ジャケのインパクトが忘れられない。

          ジャケット考 その1

          三月の雨 (ジョビンに捧ぐ)

          三月はまだまだ肌寒い。 一雨ごとに、春が潤ってゆく。 もう数日で、三月ともおさらばだ。 なんたって、四月始まりの国、 日本で、桜の季節に、高揚しないわけにもいかない。 なのに、この世は、いまだばかげた喧騒が ダラダラと長引き、治まりそうもなくて、 なかなか本格的な春が拝めない、 というのは、うそっぱちだ。 春は手を伸ばせばそこかしこにある。 心の問題だな。 すでに、そこかしこに来日しているのだ。 ウエルカム、Mr&Mrs HARU。 ぼくはあまり大勢で大騒ぎする習慣がない

          三月の雨 (ジョビンに捧ぐ)

          野球のユニフォームの話

          いよいよプロ野球が開幕する。 球春である。 ぼくは小さい頃からタイガースファンであり、 今も通常タイガースを応援している。 まして、パリーグのオリックスのことをあんまり考えることはない。 同じ、関西のチームだが正直関心があるとは言えない。 だけど、オリックスの紺の縦縞が 日本のチームで、今一番かっこいいユニフォームだと思っている。 タイガースの黄色と黒の縦縞も好きだけど、紺の縦縞って実に粋だ。 何より強そうだ。 バッファローズの前身の近鉄時代、 あの岡本太郎デザインのロゴが

          野球のユニフォームの話

          デザインを楽しむ

          デザインというものは、基本的に意図があるし それはそれで、一見単純そうに見えても 奥が深いし、受ける印象は見る側によって違ったりするもの。 ミッフィーうさぎを思い浮かべてみるがいい。 誰にでもできそうな発想でいて それでいて、誰にも真似できない深さがある。 もちろん、子供はそんなことをいちいち考えないし、 大人だって、考える人は少ない。 やはり、それなりにデザインに携わっているものにしか わからない世界があるってことだ。 難しいことはさておき、 ボクは最近になって、デザイ

          デザインを楽しむ

          デヴィッド・バーンの話

          昔からトーキングヘッズは大好きなバンドで そのリーダー、デヴィッド・バーンの音楽性にも随分影響を受けた。 アルバムでは、トーキングヘッズのRemain in Light-1980年 そして、ブライアン・イーノとの共作「My Life in the Bush of Ghosts」は 今でもよく聴いているが、一般的には、映画にもなった「Stop Making Sense」-1984年。 監督は『羊たちの沈黙』のジョナサン・デミで、ちょっと驚いたが、 ミュージックビデオ全盛期の八

          デヴィッド・バーンの話

          夢のECサイトが簡単にできた、の話

          かねがね、自分でなにか店をやってみたい、 あるいは、喫茶店とかBARみたいなものとか、 そんな思いは漠然とあったんだけれども、どこか敷居が高く思えた。 つまり、自分ひとりでなかなかたどり着けそうもなかった。 ネックはいってみりゃ、資金ぐりというやつで、 現実を考えたらそうそう無謀なことはできないな、 そう考えるのは、普通だと思う。 で、オンラインのショップの話になるわけですが、 ついこの間まではECサイトを始めるって言っても、 やはりコストもかかれば、手間もかかる。 それな

          夢のECサイトが簡単にできた、の話

          デザイン再構築

          普段、個人的にキャラクターを創作する際の、デザイン的要素となると、ほぼ直感的に処理され、あらかじめ頭の中にはなにもなくて、それこそ、PC操作の恩恵に預かっているだけのような気がしないでもないが、そうして曲がりなりにも生み出されたキャラクターたちを、いざグッズのアイテムに落とし込む作業になると、まぎれもなく、デザインワークとなることを実感する。当たり前の話ではあるが、個人的には決定的な違いがある。 これが実に楽しい。楽しい分、頭を悩ませるのだが、なにしろ無限のパターンがあって

          デザイン再構築

          ぼくから生まれたキャラが洋服になった

          正直なところ、ぼくは職業デザイナーである自覚がどこか欠損している。それでお金をもらっているというのに、である。話を聞いて、内容が合致すればそのまま仕事を請け負うことは多々あるものの、どこまでクライアントに寄り添ってあげられるのか、よくわかっていないのだ。 もっとも、納品後に一定の評価や、相手が喜んでいるのをみれば、自分の仕事はほぼ達成できたということにはなるのだろうし、突拍子もなく自分を押し通して、反感や顰蹙をかった覚えは、まだ一度もない。 だからといって、自分はどうにも商

          ぼくから生まれたキャラが洋服になった

          「きゃらあくたあ」たちが偶然に生まれたときの話をしよう。

          かれこれ30年近くも前の話になるが、とあるコピー機会社で、ぼくがコピー機の耐久試験のチェックをするバイトに派遣社員として従事していたときのことだ。今思うと、これ以上ないラク〜でぬるい仕事で、しかも割のいい仕事であった。単にソーターに紙をくべて、スタートボタンを押すと、以後ほぼ何千枚分は心配がないとくる。名目は耐久試験だから、エラーやトナー切れを起こさない限り、何もすることがないのだ。夢のある仕事ではないが、夢を見るための時間はたっぷりある仕事というわけだった。 だから、その

          「きゃらあくたあ」たちが偶然に生まれたときの話をしよう。

          きゃらあくたあず

          「きゃらあくたあ」というのは、ぼくが考え出したまったくの造語である。 つまり、ひとつのキャラを背負うことで人格を演じる、CHARA+ACTORのことであり、別の言い方でいえば、デジタルな異種生命体のこと、とでもいっておこう。 いまや、日本中に認知されつつある、かのサブカル伝道師・みうらじゅん氏が火付け役の「ゆるキャラ」は、国や地方公共団体、その他の公共機関等のマスコットキャラクターたちをそう呼んだが、わが「きゃらあくたあ」たちは、なにもないところに、ある日ひょっり現れ、つま

          きゃらあくたあず

          ワンアンドオンリーのロピュデザイン

          デザインはけして表現ではない。クライアントがあって、意図があるものだ。異論はない。しかし、仮に自由にデザインして、楽しむもの、であるならば、汎用性そのものがもっと広がるだろうというのがぼくの考えである。 世界は広い。似たようなもの、どこかで見かけたパターンの焼き直し、創造性のないものにあふれかえったその世界に、人は、はたして、真に心躍らされることがあるのだろうか? 人それぞれの個性重視が叫ばれてはいても、なかなか自分の個性を知り、それをうまく表現として発信してゆくのは簡単な

          ワンアンドオンリーのロピュデザイン