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クリエイティヴをめぐる話

僕がやっていることは
果たしてクリエイティヴか否か?
そんな問いを持つことなんて、まずない。
ないのだが、ふと考えた。

答えはイエスだ。
しかし、同時に、そんなことはすぐ忘れる。
つまり言葉の響きは魅力的だが
どうでもいいこと、ということになる。

はじめに、評価というのは、絶えず二次的であり
他人が下すものだ。
もちろん、自己評価、エフィカシーの高みにおいては
当たり前のように、クリエイティヴだと信じてやまない人間だ。
なぜなら、僕は常にクリエイティヴなものに反応してきたからだ。
染み付いているわけだ。

どうしてそんなことを考えてしまったかというと
『天才たちの頭の中 世界を面白くする107のヒント』という
面白いドキュメンタリー映画を見たからだ。
世界中のクリエイティヴと思しき人物に
直接会って片っ端から
「貴方はなぜクリエイティブなのか?」という質問をし
世界中を旅して回る、そんなドキュメンタリー映画である。

アーティストから、政治家、スポーツ選手、建築家、思想家に至るまで
インタビューされるクリエイティブな人物たちも確かに魅力的だが
こういう発想を三十年越しに行動に移し、
一本の映画にまとめ上げたハーマン・ヴァスケという監督に、興味が湧いた。

とどのつまり、人間とは皆それぞれがクリエイティヴな存在として生まれ
それぞれの人生を生きている。
それを自覚できるかどうかは千差万別、自分次第だ。
もちろん、誰もデヴィッド・ボウイになれないだろうし、
ダライ・ラマになれっこはない。

が、それはあくまでも認識上での世界の話。
存在のクリエイティヴィティなるものは、故に個々に委ねられる。
だから、当然、クリエティヴとは何かを
断定的に定義することは難しいが、
この映画には、素敵なヒントが散りばめられている。

反面、多くの足を持ち、それで当たり前のように歩くムカデに
「あなたはどうして、そんな上手に機能的に足を動かせるのですか?」
などと、問うても答えは返ってこないだろう。
つまりは、問う意味などない、という考え方である。
映画はミヒャエル・ハネケという映画監督が発した言葉を元に
締め括られるが、考えたり、問うのは自由なのだ。
そうやって、できた映画が『天才たちの頭の中 世界を面白くする107のヒント』というわけである。

結局は、各々が持つクリエイティブな思考に帰結するだけだ。
だから、僕は僕。人は人。
それでいい、と自分は思う。
そういう認識に於いて、十分クリエイティブなのだ。

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