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「きゃらあくたあ」たちが偶然に生まれたときの話をしよう。

かれこれ30年近くも前の話になるが、とあるコピー機会社で、ぼくがコピー機の耐久試験のチェックをするバイトに派遣社員として従事していたときのことだ。今思うと、これ以上ないラク〜でぬるい仕事で、しかも割のいい仕事であった。単にソーターに紙をくべて、スタートボタンを押すと、以後ほぼ何千枚分は心配がないとくる。名目は耐久試験だから、エラーやトナー切れを起こさない限り、何もすることがないのだ。夢のある仕事ではないが、夢を見るための時間はたっぷりある仕事というわけだった。

だから、その基本動作さえやっていれば、そこで寝てようが漫画を読んでようが何か飲み食いしてようが、だれかとおしゃべりしてようが、その間はおかまいなし(いまのようにスマホなんてオモチャはなかったが)である。なんとも自由でおおらかでユルユルな無法地帯であった。ただ自分は、ひとつだけ危惧していたことがある。それを続けていると、その先どんどんアホになってゆく(されてしまう)のではないか、という恐怖である。どこかで自分を律する必要性を感じたのである。(オレはまじめか?)

日々、寝たり、漫画を読んだりしている仲間を客観的にみていると、どうにも無性にアホっぽい奴らの姿があわれにみえてきてしまう。(むろん、その同僚たちの選択、問題でもあるのだが、当たり前だが、だれも疑問などいだかないのが常である)。今もそうだが、そうやって知らず知らずのうちに、自分を失ってゆくのは恐ろしい。人知れず、ぼくはそれを“白痴製造機”と呼んでいた。だからこそ、なんとかそれを避けねばという本能が強く働き、少しでも有益なことをしなければと、本を持ち込んだりもしていたが、あまりにも周りの空気がゆるみきっており、なにせ、ひとりその場で集中力を保つのも一苦労だった。

まるでSFか不条理文学の世界じゃないか、と僕は直感した。カフカの世界観に似ていたのだ。逆に、そういう環境に身をおくと、ぼくのような人間は、面白いように想像力が膨らんでいくのだった。その意味では、自分はやはり、クリエイティブな人間であることを自覚せざるをえないのだ。そこで、どうやってその“白痴化”をくいとめるか、である。まずそこにあった大量に廃棄されるコピー紙の裏に鉛筆で絵を描き始めた。いっておくが、絵を観るのこそ大好きだったが、それまで、実際に自分が描く方になるとは思いもしない人間だったのだ。なにしろ、画才など微塵もなかったし、どちらかというと絵音痴側だったからである。

不思議なもので、毎日毎日それを繰り返している内に、手さばきはどんどんこなれてゆく。もちろん、急にダビンチや北斎になるわけでもない。ましてイロハを知らない。それはどちらかといえば、シュルレアリズムでいうところの自動書記にちかい落書きだったのだが、気がつけば一日100枚程度の落書きをせっせせっせと溜め込んで行った。(これはのちに「アフタヌーンオピウム」と名付けた線画となった)

次にめぐりあったのがパソコンである。幸運にも職場のPCにはフォトショップ、イラストレーターというソフトがすでにインストールされていたのである。まだ当時は一般にパソコン自体、普及しはじめた黎明期であり、インターネットすら実に敷居が高かった。職場のパソコンおよびソフトは、そのコピー機開発に特化されており、デザインやクリエイティブなものを生み出すためのものではなかったが、自分にはとても新鮮であり、まるでおもちゃのようなものであった。暇な時はそのパソコンを触り、アプリケーションをいじるのが楽しくなっていった。(もちろん、仕事に必要なモノである以上、ダメージを与えたり、無茶をすることは暗黙で禁止されていたが、そもそもパソコンを触る人間は、自分をおいて他にだれひとりいなかったのが幸いした。)

当時のバージョンは、確かフォトショップ5.5、イラストレーター3程度の代物で、今のような完全進化系のグラフィックソフトではなかったが、それでも、マウスやクリックひとつで絵やグラフィックができてしまうことに興奮を覚えないわけにはいかなかった。おまけにラッキーにもプリンターが自由に使えたのである。もちろん、だれも操作を教えてはくれないし、いまのようにネット出調べるというような工程もままならない。ただ、たちあげて日々触って絵のようなものを描く、ただそれだけのことの繰り返しであった。これがきっかけで、基本動作は勝手に身についたのだが、自分の用途は何かおもしろいものを生み出す、ということで、さしずめ稚拙なデジタル画を量産していった。そうして、ついに趣味が嵩じてついには自腹でMACとソフトを購入し、家に帰ってますますのめり込んで行くのだった。(ちなみに、当時はいまのようにサブスクでもなく、ソフトそのものがかなり高額な代物だった。まさに、その道の専門道具であったのだ。)

そうやって日々触ることで発見をアウトプットを繰り返してゆくのだが
イラストレーターは主にパスを使った図形、フォトショップでは色やエフェクトを駆使した画、といった、出来上がるものは稚拙なデジタル画といったものが主であったが、こんにちそれを元に、いろんなデザイン展開からグッズにいたるまで、多種多様に活躍してくれているのだ。


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