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ワンアンドオンリーのロピュデザイン

デザインはけして表現ではない。クライアントがあって、意図があるものだ。異論はない。しかし、仮に自由にデザインして、楽しむもの、であるならば、汎用性そのものがもっと広がるだろうというのがぼくの考えである。

世界は広い。似たようなもの、どこかで見かけたパターンの焼き直し、創造性のないものにあふれかえったその世界に、人は、はたして、真に心躍らされることがあるのだろうか? 人それぞれの個性重視が叫ばれてはいても、なかなか自分の個性を知り、それをうまく表現として発信してゆくのは簡単なことではない。

当然、ゲイジュツとデザインの間には、ある一定の線引きが設けられている。簡単にいえば、ゲイジュツとは、なんでもありの世界である。ゲイジュツは爆発だ、とは岡本太郎のキャッチフレーズだが、自由でこそのゲイジュツであり、制約などどこにもない。あるとすれば、その表現者がどこかで、勝手に基準を設けてしまう場合だけだ。ところが、デザインとなると、必ずしもそんな悠長なことはいってられない。当然、目的が明確化されなければ相手にされない。オレ流が通用しにくいのがデザインというものである。

そんなことはいうまでもない。だが、ぼく個人としては、デザインそのものにももう少し幅があっていいと思うのだ。要するに、デザインを楽しもう、その心意気によって、活かされるものもある、という視点にたって、ひとつ、デザインの概念をとっぱらってみよう、というのが簡単な趣旨である。

よって、最初にデザインありきではない。
まずは自分から出てくる感覚を大事にしたい。
その意味では、確かにアート(表現)なのかもしれない。
それは単に僕個人の世界なのかもしれない。

しかし、いまや、そうした境界線があいまいになってきて、
着実に可能性は広がりを見せ始めている。時代は寛容だ。
その意味では、既存の商品にデザインを組みこみ、一体化するということで、個々のデザインがより個性化されるのはいうまでもない。
商品でありながらも、しっかりと自己世界を主張できるのだ。
もちろん、最終的に、善し悪しを判断するのは消費者であり、自分以外の他者である。ゆえに、自分はデザインを通じて、その機会をできるだけ準備しなければならない。創作だけに注力しているわけにはいかないのだ。

その意味では、総合的なデザイン力は必須になってくる。俯瞰的な視点が求められるのは、デザイナーの基本だ。漠然としたものを、単に造形だけのインパクトや形態だけで推し進めるのは限界がある。そこに、可能性を感じ、自分のデザイン商品をブランドとして立ち上げてみたのが「Lopyu Design」なのである。

https://lopyudesign.com/


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