語学の天才じゃないあなたへ
前回の内容(読まないでも大丈夫です)
(1)あなたに「蘭学事始」を勧める理由
そんなこんなで蘭学事始を勧める理由は、学ぶことの喜びを思い出させてくれるからだ。
前回載せた【オランダ語と日本語の違い】は、【英語と日本語の違い】と言い換えても良いだろう。
英語と日本語は、アルファベットも、語順も、使う音も、発する際に使う筋肉も、背景にある文化も、何もかもが違う。
つまり英語学習で我々は、脳にとって相当不自然なことをやっているのだ。
「蘭学事始」の中で杉田玄白は、こう言っているように私は感じる。
そもそもが負け戦のこの戦いに挑んでいるあなたは、一つの単語を習得しただけでも、もっと喜んでいいのだと。それはすごいことなのだと。
それを、語学の「凡人」を自負する杉田が語ってくれているところに、この本の素晴らしさがあると思う。
前野良沢ら天才達に囲まれて、凡人の切なさを噛み締めながら、最後には医学、語学界に語り継がれる偉業を成し遂げた彼が語りかけてくれるからこそ、我々は勇気をもらえるのだ。
(2)あなたの挑戦は素晴らしい
この本のなかには、凡人が抱きがちな卑屈さは全くない。
自分の才能のなさは認めつつも、非凡な仲間と共に達成困難なミッションに取り組めたあの時間を、ただただ素晴らしい時間だったと懐かしむ爽やかな述懐があるだけだ。
語学の勉強はそれでいいのだと思う。
他者との比較ではない。
英語を習得する。日本人にとって滑稽なほどに切実なこの挑戦は、
とてつもなく無謀なことであり、だからこそ価値のあることであり、
それは小さな成長に大きな喜びを感じながら進めていくべきことなのだ。
(3)私の留学経験
ここで思い出すのは私自身の留学体験だ。
同じクラスにとても英語が流暢な中国人留学生のハリー(通称名)という友人がいた。
彼は、英英辞典の中の間違いを発見し、過去に何度か出版社にそれを報告したことがあるほど英語が堪能であった。
しかしそれは、それほど多くのページに彼が目を通したということの証であり、それほど一生懸命に辞書を読んでいたということの証しでもある。
彼が口を開けば、ネイティブの学生達も完膚なきまでに論破され、授業中に教授を論破したときには端から見ていてヒヤヒヤしたものだ。
彼の英語は、並々ならぬ努力によって習得されたものであり、一分の隙もなく論理的に美しく、留学生もアメリカ人学生もその教室にいる全員が完璧に理解することができた。
彼を見て私は、天才は存在すると言うこと、また天才が努力すると、凡人では絶対に到達できない領域に入っていくという事実をハッキリと理解した。
ではハリーに対してコンプレックスを感じていたかというと、そんなことは全くない。
むしろ同じ「本気の語学学習者」として、彼と同じ土俵にたっている自分を誇らしく感じた。
そして何より、彼と共に語学について語り合った時間は、私の人生の宝物の一つとなった。
(4)まとめ
さて、いろいろ話が散らかった気がするが、そんな素晴らしい本である「蘭学事始」。英語の勉強に疲れたら、箸休めに手を伸ばしてみてはどうだろう。
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