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巳さんは今

これから語るエピソードを、どう表現するのが妥当なのだろう。
いくら考えても、未だに明確な答えは出ない。
恐ろしいと言えば恐ろしく、奇妙と言えば奇妙で、穏やかでない話である。
ただ、平面的な言葉でまとめられる領域でないのも確かか、とも思うのだ。
だから、ここは敢えて…そう、“何とも言えない話”としておこうか。

筆者の生家には井戸がある。
といっても、ご想像かもしれない地中深く掘られた穴そのものがあるわけではなく、自分が産まれた時から所謂ポンプ汲み上げ式で、家庭の生活用水として利用できる状態だった。(井戸水用の蛇口もあったりして。)
もちろん、筆者もそこで暮らしていた時は、その水で洗濯された服を着て、炊かれたお風呂に入っていた。夏の井戸水は冷たいので、たらいに入れて、お茶を沸かしたヤカンや果物を冷やしたりも。住人にとっては当然になっている日常だが、あらためて大変な恩恵に与っていたと感じる。

さて。当家が井戸水を使えるということは、その地域一帯に地下水が流れているわけだ。よその御宅でも引いておられるところがあるのは間違いない。事実、あそことあっちのおうちにも井戸があるとか、子どもの頃から知っていたりもした。長きにわたり、実に多くの人たちが恵みにあやかってきたはず。
そして、それを裏付けるように。
思い返してもまさしく象徴といえるものが、存在したのである。

冒頭で前置きした“何とも言えない話”は、それらに纏わるのではないかと訝しまずにはいられない事件?だ。ただ、根拠はあくまで筆者の憶測の範疇を超えるものではない。ぜひ皆様もそこは踏まえた上で、ご一読いただければ幸いである。
なお、当時の実態や経緯に関しては、筆者の記憶を縦軸に、親族からの聞き取りと、知っていそうな人物に尋ねた横軸も加えているが、時系列が不確かだったり判然としない部分もあったりするため、あまり詳報せず、なるべくさらりと述べていくこともご理解賜りたい。

地域のとある場所には、ほこらがあった。
物心ついた頃には、時々祖母と立ち寄って、お参りしていたのをはっきりと覚えている。
おそらくは土着的というか、民間信仰的な対象だったのではないか。祀り方などはもしかすると一応の定型があったのだとしても、参るのに特定の宗教ルールを課された覚えもなく。土地を守っているという様相で、近隣の人が通りかかる際にふと手を合わせる、素朴な鎮守ちんじゅのような神だったのだろう。

そこのことを、正確にはそこに御座おわすかたのことを、祖母は「みぃさん」と呼んでいた。それが“巳さん”だと理解するのは成長してからのことである。
“巳”は蛇の姿(または胎児の姿)をかたどった文字だとか。十二支を思い浮かべるとわかりやすい。へび年のことを“”年というのは皆様ご存知かと思う。
では、なぜそこに蛇が祀られていたのか。そもそも、どうしてこの場合に、筆者がピンときたというか、蛇だと推察したのか。それには、理由がある。

古来より民が自然豊かな地で農耕生活を営んできた日本社会では、信仰対象としての蛇は多様な側面を持ち、場所によって様々な意図で祀られてきた。そのひとつが水神としての要素だ。水は稲作を行う上でもなくてはならないもので、蛇が稲に害をなすネズミを食べることや、湿地を好む生態、さらに水や雨を司るとされる龍と習合することでも、豊穣神→水神となっていく。
そして、神そのもの、あるいは神の使いとされ、田んぼや川・海や井戸など水のあるところでは、蛇を祀って守護を願うような風習が定着したらしい。

ということは、井戸のある地域の住民だった幼い筆者が「みぃさん」と称しお参りをしていたのは、やはり“巳”=蛇神と考えるのが妥当だと思われる。ちなみに、誰からも明確には蛇神様だと聞いたことがない気がするのだが、親族は当然のごとく蛇でしょという体で話をしているように見受けられた。由来を知ってのことか、地域で何となくそういうものとして共有されてきたのか…いまいちわからない。ただ、「大昔はこのあたりも蛇がいて、それを祀ったんじゃない」と言っていたのは、もしかするとそういったこともあったかもしれないとはいえ、やはり筆者は井戸があるがための水神だと思う。

たびたびお参りしたり、付近で遊んだりしていたのは、幼児ぐらいの本当に小さい頃だったので、ご神体が何だったかはさすがに確認していなかった。何か…もしかしたら石のようなもの?それとも、外部からは見えないふうにされていたのか?いや…そこは朧気おぼろげすぎて、可能性を言うのも憚られよう。いつお参りしてもお供えがきちんとされていたことはクリアに覚えている。

ある晴れた日、ひとりでそのあたりで遊んでいた時。なんだかふと祠が気になり、近づいていって、そっと中をうかがった。
実はその祠は独立した建物ではなく、石壁に入口となる扉のない穴が開いていて、中に入ると奥に祭壇が設けてあり、大人だと二人ほど立てるぐらいの狭い空間が残されているという造り。いつも祖母と一緒に入っていたのを、よし今日はひとりでと、まるで吸い込まれるかのように踏み入った。

中は仄暗く、しんと静かで、心地よくひんやりとしていたと思う。
ただ子ども心にも、いや子どもだからか?境界を越えたここはどうやら普段自分の生きている日常とは何か違うところだな、と感じたのだ。しばらくはその清らかさを堪能し、不思議とこわくはなかった。だが、敬虔な気持ちと畏怖の念が、人がずっと居座るところではないという思いともなったのか。ひとつ成長した?気になりつつ、またひとり密やかに出てきたことがある。それ以降、ひとりで祠に入ったことは、確かない。

さて、“何とも言えない話”はここからだ。

筆者が生まれる前、生家の近所が火事になったという。そこの御宅にも井戸があったようだが、どうもその水場のそばから火が出て燃え広がったとか。幸い延焼や死人は出なかったものの、しばらく経って、ご一家は引っ越して行かれたのだった。
そして、転居先でご主人が亡くなったという風の噂を聞くことになる。
自分がこの一連の件で思ってしまったのは、何か水神にさわりのあることでもされたのだろうか…と。俄かには信じられない話ではあるのだが。

そのご一家が去られた後、ようやくといった時期にそこが更地になり新築の家が建った。転入されてきたかたはお子さんのおられるご夫婦だったよう。(その頃には筆者はもう生家に住んではいない。)だが、そこの御宅も住み始められてからしばらくして、ご主人が亡くなったのだ。しかも、前からかその後からか判然としないが、奥様が少し普通でない状態というか、家庭内だけで人が変わるような様子が見受けられると近所で囁かれていたらしい。

それで、筆者は恐る恐る親族に確かめた。御宅を建てられる時、井戸はどうされたのかを。しかし、水神上げ(使わなくなった井戸を埋める場合にするお祓い)の儀式など行っていたという話もないそうで…。建売だったなら、住人は以前敷地内に井戸があったことすら知らずに、ただ潰した井戸の上へ築かれた新しい家で暮らしておられたのではないかという、そこはかとない疑惑が芽生えるに至ったのである。

水神は怒らせるとこわいとか、たたるというのは案外俗に言われていることであり、信じる信じないは別として、土地の売買や建設業関係の職種のかたにその知識がないのは考えにくい、というのが眉をひそめるところだ。(実情として、下手に井戸を埋めたりすると地下の水流に影響が出て公共的に問題視される場合もあるのに。)
これが、もしわかった上で水神上げや地鎮祭をやらなかったのだとすれば…一体どんな業者なのかと思わざるを得ない。
その行いが、“みぃさん”の怒りをいっそう煽ったのだとしたら…?

先にも述べているが、現実に起こったこと以外は言ってみれば憶測である。(ただ、亡くなったかたがたはそれほどのお歳ではなかったはずで……汗)
まあ最後に、ついでというか、筆者がひとり勝手に心の中でこわがっている極めつけを付け加えておく。

その近隣は、配偶者のいる男性がやけに早く亡くなったり、いなくなったりするのは気のせいなのだろうか。女性は大方長生きしておられるのだが…。龍神に守られた女性は独身となる説があったりもして…いや、まさかな…?
ちなみに火事を出されたご一家の後に転入してこられたご家族も、ご主人が亡くなってからしばらくして引っ越して行かれ、その後入居されたかたは、すでに寡婦であった。現在も、実に息災に暮らしておられるということだ。

この話をどう捉えるかは、人によるのだろう。迷信だと一笑するのも自由である。ただ筆者は、やはり世の中にはやってはいけないことというのが存在するという気がしながら、これからも生きていくと思う。
実は、あの小さくも厳かな“巳さん”の祠は、付近に何軒か新しい家が建つというのでそれはきちんと相応の供養をした上で取り壊され、今はもうない。ご神体は、どこかの寺社に引き取られたそうである。もしかしたら、いつかまた会えるかもしれない。

というか…なぜか今も筆者の近くにおられるような感じがする時がある^^;

妙なもん見たけどなんか元気になったわ…というスポットを目指しています