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著者が語る:スマリヤンの『哲学ファンタジー』と『パラドックス人生』!

これまでに私は、レイモンド・スマリヤンの書籍を2冊「翻訳」している。以下に、ご紹介しよう。

1.『哲学ファンタジー』

アメリカ留学時代の愛読書だった『哲学ファンタジー』を翻訳して「丸善」から上梓したのは1995年のことである。それが2013年に「ちくま学芸文庫」で復刊された。何度読んでも、風変わりで奇妙で、おもしろく楽しい作品である。何よりも、多彩な哲学的アイディアの尽きることのない宝庫である。

読者がご覧になれば明白だと思うが、私がさまざまな著作で愛用しているシンポジウム形式は、『哲学ファンタジー』から大きな影響を受けている。

目次

はじめに

 第1部 あなたはなぜ正直なのか

第1章 あなたはなぜ正直なのか
第2章 あるパズル

 第2部 一般的な概念

第3章 さまざまな断片
第4章 ある論争

 第3部 三つのファンタジー

第5章 シンプリカスと木――郊外でのシンポジウム
第6章 認識論的な悪夢
第7章 心身問題のファンタジー

 第4部 生きるべきか死すべきか

第8章 生きるべきか死すべきか
第9章 生と死の禅
第10章 そこに何があるのか

 第5部 結末のファンタジー

第11章 夢か現実か
第12章 悟りを開いた唯我論
第13章 紀元前五千年

 おわりに
いくつかのコメント
人は哲学に何を望むことができるか

訳者あとがき

文庫版への訳者あとがき

●目次だけでは味気ないので、少しだけ本文から抜粋しよう!

はじめに[抜粋]

 私は、高校生のころ、哲学に興味を抱いた。それを知って、ある老紳士が言った。「君は哲学に興味があるそうだが、いったい哲学をどのように定義するのかね?」答えようとする間もなく、彼は続けて言った。「実は昨日、コロンビア大学の学生から、哲学をどのように定義するかと聞かれてね。わしは、こう答えてやったのさ……」その老紳士は、私に一言も挟むすきを与えずに、いつ果てるともなく喋り続けた。喋りたいだけ喋ると、「君と話ができてよかった」と言って、立ち去った。
 このとき私は、答を聞くことにまったく関心をもたずに問いを発する人間の心理現象に、ひどく困惑させられた。そして、私が思い起こしたのは、退屈とは話を聞いてほしいときに話をされることだというビアスの定義だった。ただし、この一例に限って言えば、老紳士が私に答させなかったことは、かえって幸いであった。もし哲学について、多量の情報を与える定義を求められていたら、私は苦しむことになったはずである。「知を愛する学問」といった文字どおりの定義では、哲学が実際にどのような学問かについて、ほとんど何の情報も与えることにならないからだ。
 本書にまとめたさまざまな作品(少なくともその大部分)は、タイトルが示している通り、哲学ファンタジーである。これらの作品の多くは、サイエンス・フィクションの趣もあるが、それよりも新しい表現方法として広がりつつあるフィロソフィカル・フィクションと呼ばれる方が適切かもしれない。この新しい表現方法として私が想定しているのは、ホフスタッターの『ゲーデル・エッシャー・バッハ』や『マインズ・アイ』のような作品である。これらの作品は、一般読者が、楽しみながら重要な哲学問題を完璧に理解できるように構成されている。本書もその一例だが、これらの作品は、完全に自己充足的である。つまり、読者は哲学に関する予備知識をまったく必要とせずに、本書を容易に理解することができる。


2.『天才スマリヤンのパラドックス人生』

彼の自伝『天才スマリヤンのパラドックス人生』は、2006年に「講談社」から上梓した。当時4歳の長男と2歳の長女をあやしながら、私としても本当に楽しんで訳すことができた本である。彼の一流の友人たちが「スマリヤンの印象」を率直に語っている点も興味深い。

目次

第1部 ピアノ、チェスそしてマジック――ジョークで綴る天才少年時代

第2部 ゲーデル、論理パズルそして哲学――ジョークで綴る天才教授時代

第3部 スマリヤンの印象

アナトール・ホールト/ダグラス・フフスタッター/ロバート・コーエン‣グロリアとマーヴィン・ミンスキー/アン・クローズ/メルヴィン・フィッティング/レオン・カークナー

スマリヤンの著書

パスルの解答

訳者あとがき

●こちらも、目次だけでは味気ないので、少しだけ本文から抜粋しよう!

第1部[抜粋]

かつて一〇代だった頃、私の母が、私に何かをするように頼んだことがあった。私は嫌だと断った。すると母は、私のことを利己主義者だと言って非難した。私は答えた。「ママ、ちょっと教えてほしいんだけど、ママは誰のために僕を利己主義者にさせたくないの?」。母が答えることができたのは、次の一言だけだった。「あなたって、本当に論理学者に向いているわね!」 
……以前、私が論理学者だと自己紹介したところ、私の論理を教えてあげましょうと言った警察官がいることを思い出した。「私は、妻とパーティに行きましてね」と彼は言った。「私たちは到着するのが遅れたので、ホステスが差し出した皿の上には、チョコレート・ケーキがたった二切れしか残っていませんでした。そして、一切れは、もう一切れよりも大きかった。私は、次のように論理的に考えました――私はチョコレート・ケーキが好きで、妻もチョコレート・ケーキが好きである。妻は、私がチョコレート・ケーキを好きであることを知っている。さらに、妻は私のことを愛していて、私が幸せになることを望んでいる――ゆえに、私は、大きい方のチョコレート・ケーキを取ったのです」
他にも私の好きな話がある。それは、非常に秩序正しく考える理論家が競馬に行く話である。1955年5月5日、彼の5番目の妻が、彼の5人目の赤ちゃんを産んだ。赤ちゃんの体重は、5ポンド5オンスだった。第5レースが近づいてきたとき、その理論家は、ちょうど555ドル55セント持っていた。彼は、自分のなすべき行為を秩序正しく考えた結果、5番の馬に全額賭けるべきだと決断した。そして何が起こったかって? その馬は5着だったのさ。

なお、スマリヤンが、ハーバード大学の「論理学」の授業に用いて大好評だったテキストの「監訳」については、次の記事を書いてある。こちらもご参照いただけたら幸いである!

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