青木昆陽は解体新書の生みの親
解体新書は皆さんご承知のことと思うが幕末にオランダ語で書かれたターヘルアナトミアの翻訳書でその後の日本医学の礎になった。
しかし、オランダ語はまだ当時は一般的ではなかったうえに医学訳語が日本にはまだなかったので翻訳は大変であった。「眉は目の上の毛髪である」という一文を訳すのに一週間かかり訳せたときには訳者一同が手を取り合って喜んだと言いっている。そんな調子なのでトータル3年半を要することとなった。訳者と言ってもオランダ語が出来たのは前野良沢だけで杉田玄白以下は良沢が訳した文