見出し画像

留学•後•体験記

留学から帰ってきて、約1年が経過しようとしている。(厳密には、9ヶ月ほどかな)

記憶がどんどん無くなっていく実感がある。
私の中にあったもの、感覚、知識、語学力。
砂漠の砂が、風に吹かれて、徐々に、確実に、無くなっていく感じ。


留学から帰ってきて数ヶ月経った時は、私、留学行ってました!と自信を持って言えたが、今となると、あれ、そういえば行ってた時期もあったよなーといった感覚にすらなっている。


偉そうに体験記を書いたり、色々と記事を出しているが、私は本当に頭がキレるタイプでも話が上手いわけでも無い、ただの凡人である。どちらかと言うと、話をするのは少し苦手だし、思考速度は人より少し遅い。実際、考えながら話す人がいらっしゃるが、2つのことを同時に処理していて凄いなと思いながら過ごしている。



留学から帰ってきて、以前持っていた日本の感覚や考え方が、どんどん戻っていった。白い絵の具にピンク色を加えたのに、再び白い絵の具をたくさん入れているみたいである。(色は例えなので意味はありません。アメリカの文化、考え方も日本と同じように、私は尊重しています)


今日は、留学後体験記を少しだけ書いてみようと思う。



皆さんは、9ヶ月間離れていた所に戻ってきた人が何を感じるか、考えたことはあるだろうか?

私の場合は、日本の親と電話もしなかったし(テキストはよく送ってました) ましてや、逆ホームシックになったので、かなりバイアスがありますが、


一言でいうと、浦島太郎状態でした。



もっと、想像できそうな言葉で表そう。

皆さんは、夢の中で小学校や中学校、またはそれ以前の記憶が蘇った経験があるだろうか。そのとき、あれこの場所懐かしいなーと思ったことはないだろうか?


<それが現実に起こっている>という感覚だ。


やっと自分が慣れてきたアメリカという社会での生活や現実に、いきなり引き離されて、夢の中の
やけに見覚えがある街に引っ越してきた、みたいな感じである。

だから、帰ってきてから1ヶ月間は、夢の中で生活しているようだった。とても不思議な感覚だった。なぜなら、日本の生活が少し新鮮であると同時にその生活は私が既によく知っていて、経験したものであったからである。

暮らしていた日本がこんなに人口密度が高いということが衝撃だった

話しかけてなんぼのアメリカと、皆静かやなーと思う日本、

ゴミ箱が多いアメリカと少ない日本、

日本の健康的な食事、安全な街、綺麗なスーパーの陳列棚、

なんか気持ち悪いと思っていた就活のスーツ、髪型に関する暗黙の決まり、見た目の点で言うと、個性から没個性へのトランジション


自分が疑問に感じていた日本の生活のあれこれがすっかり定着してしまっていた今日この頃、はっとさせられた経験を2つ紹介する。

1つ目は、大学の授業での教授の言葉である。
その教授は教室で発言する時に、人の顔を見て発言するな、人の顔色を伺うな、そうじゃないと、あなたの感受性が潰されます。と断言された。

私は伺いすぎて自己がなくなってしまう人間だから、とてもその言葉が響いた。アメリカにいた時の授業を聞いているようだった。



ところで、突然だが、人の行動を促すのに、あるジョークを紹介する。

アメリカ人には、ここであなたが行動したら、
あなたはスーパーヒーローだよ、と言えばいい。
イギリス人には、紳士になれるよ、と。
では日本人は?
皆んながやってるから、やってくださいと言えばいい、

らしい。


2つ目は、ある企業の説明会である。

その説明会では、皆んなスーツを着ていた。
それを見た会社の方が、折角あなたの事を知る機会なのに、皆んなスーツを着てくるなんて勿体無い!と仰った。その時に、衝撃と感銘に近い感情が湧き起こった。たいてい、服装規定に何も書いてなかったらスーツ、という暗黙の了解があって、他の会社はそれが当たり前というテイだったけれど、その方の言葉をお聞きして、我に返った。私が留学直後に思っていた事と一緒やん。
少し、心が強くなった気がした。

社会に染まることが良いか悪いかみたいな議論がなされているけれど、人によって考え方が違うのは当たり前だと私は思う。私は人々の個性や多様性が、圧力や心無い人のことばなどに潰されることなく、堂々と咲き誇れるように人と接していきたいし、そういった人や社会を増やしていきたいと思っている。



事実を受け取った時に、情報をどう解釈していくかは自分次第である。自分自身のフィルターを大切にし、丁寧に磨き上げていきたい。

この記事が参加している募集

一度は行きたいあの場所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?