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【歴史小説・中編】花、散りなばと(2)



この小説について

 この小説は、室町時代の奈良を舞台にしています。
 登場人物は、大乗院門跡の経覚きょうがく
 そしてそれを支える、衆徒の大名・古市胤仙ふるいちいんせん
 大乗院は、有名な興福寺の塔頭たっちゅうです。今でも奈良に庭園が残っているほど、大きな勢力を誇っていました。
 古市氏は、筒井順慶で有名な筒井氏の宿命のライバルです。
 しかし古市は、筒井と室町時代を通じて死闘を演じた挙げ句、ほぼ滅亡させられることになってしまいました。
 そのため、戦国時代の大和にもほとんど登場しません。
 しかし、胤仙とその息子の胤栄いんえい澄胤ちょういんはいずれも魅力的な人物です。
 本編の主人公の経覚と合わせて、もっと歴史好きに知られてもいい、知ってもらいたい、という気持ちでこの小説を書きました。
 一人でも多くの方の目に触れれば、これ以上の幸せはありません。
 どうぞよろしくお願いします。

本編(2)


 一月ばかり経ち、ようやく腰が落ち着いてきた皐月のころ、経覚は惣領館の宴へ招かれた。
 数日の長雨が上がり、ちぎれ雲一つ見えなかったが、月はまだ出ておらず、空は墨を流したように暗かった。
 手輿に揺られつつ、城山の急な坂道を登ってゆく。湿った夏の葉の隠微な匂いが鼻をくすぐる。簾を手の甲で持ち上げると、眼下には点々と火明かりの灯った郷の夜景が広がっていた。
立野たつのに比べれば、賑やかなものよの」
 と、経覚は独り言ちた。
「はあっ」
 従者の畑経胤つねたねが、聞こえたのか聞こえていないのかわからぬ様子で、侍烏帽子を直しながら振り返った。
 奈良を追放されたのは、今回の一度ばかりではない。十年ほど前にも、将軍家の勘気を蒙り、信貴山しぎさんのふもとの立野へ逃れていたことがある。そこでは三年間を蟄居のうちに過ごした。
 大和一国の領主たる興福寺の頂点に立ちながら、都合五年もの間、南都を離れていたことになる。
 煮え立つような情動が、いつも敵味方を色めき立たせ、さらなる騒乱を招き寄せる。だがおのれのそういった性分が、決して嫌いではないのだ。周囲の困惑顔も、指さして笑い飛ばしてやりたくなる。結局のところ、どこか童子じみた戯れ心が、いつまでも抜けないらしい。
 曲輪くるわの間に設けられた土橋を渡ってゆくと、深閑と生い茂った竹林に囲まれて、杮葺こけらぶき屋根、白土壁の豪壮な建物が、いくつも寄り集まっていた。
 胤仙は自ら、多くの篝に照らされた唐門の前まで迎えに出てきた。病弱だという妻も一緒である。が、件の童子の姿がない。
「門跡様、よくぞ。ささ、こちらで、ごゆるりと」
 尋ねてみる暇もなく、文字通り手を取らんばかりにして通されたのは、築山のある池のほとりの会所座敷であった。
 襖障子に墨絵で山水を描き、腰張に金泥銀砂を刷いている。飾り棚には香炉、香合、文鎮、硯といった唐物や、螺鈿らでんの盆、蒔絵の文箱などが所狭しと並べられ、銀銅蛭巻拵ぎんどうひるまきこしらえの華麗な太刀が、鹿角の刀掛けに横たえられていた。
(聞きしに勝る富裕)
 と、経覚は細い目を見張った。
 古市は、大和の衆徒国民の中では新参者である。春日社頭へ流鏑馬を奉納する六党の中にも入っていない。
 それでも大乗院方の筆頭として威勢を振るっているのは、南都へ至る上ツ道の喉元を抑え、商いによって富を蓄えているからだ。
 座敷には惣領の一門郎等、当地在住の学侶六方衆らが、既に茵を並べていた。経覚が上座につくと早速酒礼となり、初献の盃が取り上げられた。
「かねてよりご厚恩に預かってきた門跡様を、我らが本貫へお迎えする運びとなり、大慶至極、子々孫々まで伝え聞かせるべき喜びだ。今宵はささやかながら、祝いの膳を設けさせていただいた。山海の珍味に諸白の酒、どうか心ゆくまで楽しまれたい」
 胤仙の言葉に引き続き、みなが揃って一献を干す。次いでたけのこ、茗荷、山芋、鮑、海鼠、鮎などの膳が次々に運ばれてきた。
 庭に面した明かり障子は開け放たれ、宵の微風を呼び込んでいる。ただ空は晴れていながら黒ぐろとして、灯明の光だけがぼんやりと、めいめいの面立ちを浮かび上がらせていた。
 ふいに胤仙が箸を置き、両のたなごころを打ち合わせた。
「今宵は寝待の月にて、闇夜の明かりが物足りない。興趣を添えるべく、この場へ月を呼んでみたいと思うが、いかがか」
 一門衆の豪放な笑い声が応える。どうやら前もって打ち合わせ済みの様子である。
「月を呼ぶとは、いかなることか」
 経覚も誘いに乗り、懐紙で口元を拭きながら尋ね返した。
 胤仙は、企み顔でうなずき返すと、片手を持ち上げて庭の方へ合図を送った。
 榑縁くれえんの向こうから、龍笛の調べが流れてきた。ゆったりとふくらで始まり、責めへ転じて、懸吹かけぶきで一気に音色が高まる。
 それに囃し立てられた如く、数人の童子と一頭の馬が現れてきた。黒い鏡のような池の面を背にして、長押なげしと柱に囲まれた四角い枠の中である。
 みな頭上に薄衣を被き、ぬるい夜風になびかせている。盤領あげくびにした水干の胸元で、菊綴の総が躍っている。横笛を薄い唇に当てているのは先頭の童だ。一人だけ目にも鮮やかな花山吹の出で立ちである。それが他でもない、春藤丸であった。
 馬は輝くばかりの月毛である。
 ふいに笛の音が途切れた。春藤丸が馬子から轡を譲り受けたのだ。差縄を引いて座敷の正面まで進んでくると、童たちは夜露を負うた蕾のように、一斉に小さな頭を下げてみせた。
「門跡さま、我らの元へおいでくださり、心から感謝しております。奈良などへお帰りにならず、ずっとこの郷にいらしてくださいね」
 甲高い声を揃えられて、経覚も思わず相好を崩した。
 鼻をそびやかしながらこちらを見上げているのは、先頭の春藤丸である。同じ年ごろの童べを率い、いかにも誇らしげな様子であった。
「古市は、数こそ多くありませんが、質の良い馬を産します。その中でも稀に見る良馬にございますので、何をおいても門跡さまへ献上いたします。どうかお納めくださりませ」
「なるほど、寝待の夜に、月毛の馬を月と見立てたか。趣向なり」
 経覚は膝を打ち、破顔大笑した。朱塗の盃を上げて諸白を呷る。ふくよかな甘みが舌の上に広がり、一筋が唇の端からこぼれ落ちた。
 傍らでは父の胤仙が、双方の様子を念入りに見比べつつ、満足げな微笑とともにうなずいていた。
                           ~(3)へ続く

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