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【手紙】何もしない君へ

 「どうして?どうして私を助けてくれるの?私は貴方に何もしてない。何も返してあげられない。」
 それが君の最後の言葉だった。

 僕は原宿駅を降りて、代々木公園を歩いていたが、手に持っていたアイスコーヒのカップの結露が、僕の通った道に痕跡をつけるように、アスファルトに2日ぶりの雨を降らせていた。暫く足を進めると、沢山の薔薇の中でカラスが蠢いていた。カラスは白い薔薇とピンクの薔薇を黒い嘴でつつき、容赦なく僕の後悔に塩をかける。もう塩分過多で腎臓が破裂しそうだったので、僕はコーヒーを飲み、貯水池へと向かった。水に映る黒光りする空は、僕の物憂げな表情の背景となって、風が吹けば波が勝手に表情を変えてくれる。そして雲の影が一時の夜の静寂をつくる時、僕の憂鬱な悩みは世界から隠してもらえる。二度と日の目を見れないかもしれない。そんな不安を全ての影は抱くからこそ、太陽がそこにいるに違いない、と思う位置を目で追ってしまうんだ。

 ところで公園には沢山の人がいる。一人でカメラを構えて風景写真を撮る人。久しぶりの晴れ間にピクニックを楽しむ人。恋人同士で自転車を借りてサイクリングする人。ギターを両手に演奏を奏でる人。ただ今の僕には、きっと眩しい。だから今日は3年ぶりにサングラスをかけ、色を失っている。僕と彼らは顔を見合わせ出会っているのに、無感動にすれ違う。

 目を閉じて耳を澄ませてみると、サングラスの隙間から無邪気な犬の声が聞こえた。芝生は土を通じて地球の養分を吸い取って、柔らかな肉球のクッションになるために産まれたかのように、青々とした葉を咲かせる。
 「どうしてもこれだけは伝えたい。自然が好きなんだ。」
 僕には犬の声はそう聞こえた。僕は動物より植物が好きだから、どうしてもヴィーガンにはなれない。

 展望デッキを登ると、僕は小さな体に大きな下駄を履かせてもらったようで、ビルが見えた。この世の公園から展望デッキが無くなって仕舞えば良い、つくづくそう思う。だって、木々の中だからこそ、冷静で素直にいられるものを、人の手垢がついた構造物が視界に入ってしまうじゃないか。だから、都会は嫌いだ。自然に帰ってしまいたい。

 確かに自然は何もしてくれない。直接的には何の役に立ってもいないし、人の手を借りなければ朽ち果てるものだってある。それはきっと木々や花々が一番考えることだろう。自分は何もできないし、動けないし、何も返せない。だから自然を苦しめる最たるものは罪悪感だ。そしてその罪悪感が一杯になった時、自然災害として人間を困らせる。
 その罪悪感の原因はきっと、人間が一方的に愛を説いたことだ。花は語りかけても返事をしてくれないのに、自然の理解も追いつかぬまま、その表情さえも見ずに、「君は僕の役に立っている」、「君は沢山のものを僕に与えてくれている」、「君と一緒にいると安心する」、「君が好きだ」。そうやって悦に浸っているんだ。自然もどれだけ人に役立っているのかもう少し自身を理解するべきであるが、自然を都会に置いてけぼりにしたまま、どんな言葉をかけようが、どんなプレゼントを渡そうが、自然には罪悪感と戸惑いだけが残ってしまうのに。
 でもきっと人が山頂に、深海の底に辿り着こうとする動機を、自然そのものの存在と理由づけるように、自然への愛は自然で素直な気持ちの結露であり、偽りや勢いから産まれた果実ではないのだ。自然に何かして欲しい。何か役に立って欲しい。何かを返して欲しい。そんな邪な思いは、湖の水に柄がないように、きっと心の凪で既に浄化されているのだろう。むしろ何かをしてあげたい、そんなプレートメカニクスがどうしようもなく手足を震えさせ、声を震わせてしまうんだ。だから自然が少し微笑んだだけで、被災による被害さえ全て報われたような気がする。
 
 この公園には約700本もの桜の木がある。今の時期、桜は当然散り、腐り、地に帰っているし、何の木なのか見分けがつかない。でもこの時期の桜が一番美しいのだと、僕はいつも思うのだ。僕は一本ずつ桜の木を数えたが、100本を少し超えた辺りだろうか、数えるのを辞めて、スマホの時計を見て、都会へ戻った。

2023年6月17日

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