かずみ|つれづれ語り

奈良で暮らす83歳です。香川生まれ。 子育ても終え、つれあいだった夫も 天国に逝きまし…

かずみ|つれづれ語り

奈良で暮らす83歳です。香川生まれ。 子育ても終え、つれあいだった夫も 天国に逝きましたが、孫5人・ひ孫2人に恵まれました。 スマホもインターネットも分かりませんが、 千葉で暮らす息子に原稿を送ってブログと やらを始めてみます。

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はじめまして

うれしいことに私は、昨年につづき今年、ふたり目の「ひ孫」に恵まれた。 孫の子供である! 孫は、自分の子供の子供ということで実感できる。 が、またその子供・・・・・・ 自分と同じ血が流れている命が、この世に誕生した。 なんという不思議・・・・・・ 嬉しいとか、驚きとか、愛おしいとか、自分の心情表現に、ただ戸惑っている。 はじめまして、私は曾祖母です。 現在、世界では戦火が絶えず、混沌としているなか、この先の道は見えにくい。あなたたちの歩む未来が、少しでも良くなるように

    • 出会い~茶の湯~

      先日テレビで茶道裏千家前家元のお姿を拝見した。 百歳とは思えないしっかりしたお話しぶりに感動した。 お扇子を手にされたたたずまいもとても美しかった。 長年のお稽古で身につけられたものと思う。世界中に一服のお茶とその心を届けられているという一途な姿勢は素晴らしい。 私も前お家元の足元にも及ぶべくもないが茶の湯をかいまみたことに今に思えば良かったと思う。お茶というと嫌う人も多いが自分の意思ではなく、たまたま出会った。 お抹茶の味も知らない時に親が開いてくださった道だった。 出会

      • いい日

        弥生も末の週末。 息子の一声で家族四代十三人と 老犬一匹 奈良集結。 久しぶりの家族の 集まりは嬉しいもの。 気ままな暮らしの我が家は片づかないまま。 幼児用に高齢者用にと部屋も整えないのが私流。 それなりに対応していただく。ぶつかれば幼子も痛みは知るはずと。 食も又しかり。塩分ひかえは常からの心がけて。 今日は煮もの、炒めもの、揚げもの等々。 孫リクエストのちりめん山椒も作りました。 夫健在ならばハンバーグも供されたでしょうが昔ながらの自己流惣菜十余種を準備。もてな

        • ラスト・ラン

          「山へイコカ 川ヘイコカ」「空ヘイコヨ」 寒山拾得さん達の問答を遊びことばにドライブ日和の目的地は決まる。 夫はお弁当づくり、私はポットにお湯とお抹茶の準備、出発はお昼を過ぎてしまう。 幸か不幸か夫は免許を持たないが方向に強い。地理オンチの私が運転手となりナビを入れて出発するが急に方向転換を強いられる。ナビは元へ元へと誘導する。そこで車内トラブル勃発。おかげで一度事故になり、人身には至らなかったが、車に大怪我をさせてしまった。車負傷は多々あり。 三十歳代に免許を取った私

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          おせっかい

          トットちゃんこと黒柳徹子さん90歳が、いまの時代に必要なことは何か?と聞かれ「やっぱり人に親切にすること。困った人がいたら手を貸すとかちょっと声をかけるとか、そういうことが、もっとあってもいいのじゃないかなって思いますね」と返答。 もっとももっともとおせっかい者の私は、夕刊のトットちゃんの記事を読みながらひとりうなずく。 散歩中に出会う小さなお花や木々の葉っぱにもまして、人への声がには心がけてきた。 過日、公園のブランコにひとりうかぬ顔の少女を見かけ「大丈夫?」と声をかけ

          琵琶湖周遊の旅

          奈良に住まいするようになり、琵琶湖一周を夢見るようになった。 距離的近さもあり、その歴史の郷愁のようなものに惹かれたように思う。 周囲 235キロメートル湖面にある竹生島に弁財天が祀られ琵琶を連想してその名があるようだ。その広さ県下1/6を占め県人は湖(うみ)ともいうらしい。 「淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば情もしのに古思ほゆ」 いつどこで習ったか、この古歌があこがれの思いを重ねる。 こんなささやかな私の思いを夫に話していたにちがいない。 今から14年前、あこがれの旅を計画

          シェフ交替

          能登半島はどこまで行っても荒らされていない海岸線が綺麗だ。 作家立原正秋氏はエッセイに書かれている。私はその半島を訪ねたことはないが、その景観も人の営みも一瞬に消えた。多くの内外からの援助で道を直し命の水をつなごうとしている今、県知事はテレビで訴える。 「石川に観光に来てください。温泉も健在です。」 人も物もお金も回さねばならない現状。 ささやかながら私も必ず石川の美味しいお酒を買いましょう。 こんな憂うべき時に私ごとの市井の暮らし台所事情を綴ります。 七十才でサラリー

          ふたつの贈りもの

          忘れもしない2020年9月27日。 背中に黄色のリュック、両手に大きなバッグを持つ若者が玄関に立った。 御年18歳。切れ長の清々しく美しい目をしていた。 娘の長男我家の同居人の到着である。 コロナ禍のまっただなかの春、彼は大学生になった。 親元を離れたいという希望で母なる娘は独り居の祖母を選んだ。 娘なりの私への大きな大きな贈りものであった。 私の好きな和菓子と私宛のメッセージが託されていた。 「とうとうこの日がやってきて送り出す嬉しい気持ちと哀しい気持ちが交差していま

          迎春

          大晦日から日付が変わる。若水をくみ神棚へ供えてご挨拶。 我家の年の始まりである。 お水は水道水だが年が改まると、なぜか神聖に感じるから不思議である。 ありがたいことに娘一家が年末年始の我家の行事につきあってくれて久しい。でも年は変われど私の仕事はこれから。品数はずい分少なくなったお節の料理がまだ残っている。 お重詰めは、婿殿が今年も担当して下さる。 また祝箸の名前書きは孫。筆ペンだが例年担当するうち十人の名前を粛々と書く。この座にいるはずもない夫の名前も、そして新入りさん

          店仕舞い

          三十余年も住むと家には、ものがあふれている。 だが、この家のものすべてに私なりのストーリーと思いがこもっている。 庭木でさえも愛おしい。 しかし、そんな感情は捨てて「店仕舞い」の時期である。 この家では季節ごとに部屋の壁面の絵や置物を替えて楽しんできた。 絵を選び求めるのは夫。定年を機に油絵を描き始めた。 私が選んだ絵は1枚だけ。熊谷守一さんの「とんぼ」。 ある古物商で、たまたま出会った。 氏のひたすら見てみて描くシンプルな絵にひかれた。 復刻の小品である。 そのとき手

          私のクリスマス

          朝夕こがね色に輝きをみせていた公園の雑木の葉っぱが散る。 枕冊子清女の表現を借りれば「風のいとさわがしく吹きて、黄なる葉どものほろほろとこぼれ落つる、いとあわれなり」 ほろほろと葉の散るさまとはいかがと、灰色になった脳細胞をかきたてる。 視界には、北から西からと吹きあげられる風に乱舞する葉っぱ、くぬぎやこならの類である。根元には落葉のジュータン。積み重ねられふかふか。 私はその中に飛び込みたい衝動にかられる。 そんな落葉の季がすぎると、世の中はクリスマスだ。 街では