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嫁入り道具

この秋で結婚して六十年になる。

東京オリンピック開催。東海道新幹線と日本の輝かしい年。
あの海も青く、山も川も美しく、人も優しい時代だった。瀬戸内の港から関西汽船で大きな花束を胸に旅立った。埠頭での見送りの中、水面を追って
ひとり最後いつまでもたたずんでいたという父。(亡くなって何十年も経て聞いた。)

私たちは東京中央線にある吉祥寺をめざした。
東京は田舎育ちの私には外国以上の外国だった。

駅から歩いて十分程の狭いアパート。その狭さも不自由を感じず、駅前商店街へ毎日買い物に行く主婦として専念。夫の給料の使途もわからず考えず父から頂いたお金を持ち出していたら一年で使い果たした。

アパートにお風呂は無く銭湯通い。それも夫が早く帰宅した時のみ。入口で各々に別れ当時テレビ大河ドラマ「赤穂浪士」のテーマ曲を吹く夫の口笛が出ましたよという合図だった。

雨が降り出した夕方には帰宅時間もわからないまま傘を持って駅までお迎えに。コンビニもなくタクシーで帰るなんて考えも及ばず改札口で待った。
電車が着くたびあふれ出るサラリーマンの姿。次かなと電車を見過ごすうち改札を出る人は徐々に少なくなる。やっと顔を見た時の安堵感!三時間待った。

二人だけの小さなスタートだったが米びつとやらも持参。
大きい箱は主が入らないまま今でも健在である。
女の子は嫁に行けば料理は当然することだから今はしなくていいと父の方針で育ち包丁は持つこともなかった。
台所の座布団に座り母の仕事ぶりをみているだけ。
時々お味見と言って口に入れてる。薪で炊くご飯におこげが出来るとお塩を手に三角おやまのおにぎり。あの美味しかったこと!

そんな私に父は嫁入り包丁を研ぐ砥石(といし)を持たせた。
我家のシェフを務めた夫も研ぐのはたやすい市販のものを使い重たい自然石の砥石を持ち出したことは無い。
最近友人ご夫婦と会話した折、ご主人が包丁を研いでおられるという。自然石の砥石は見かけないとおっしゃる。
ならば我家に寝むっている砥石がありますと献上となった。
ようやく使っていただける。すてるにすてきれず持ち歩いてきた。
お料理をしなかった私に砥石など持たせたのか。
問うこともなく答うべき父もいない。

いつの頃か結婚ずい分前になにげなく私に言われた。
「お前は幸せになるよ」と。予言者のように私にいい聞かせたようでもあり父自身に云っていたようにも思う。
親元を離れて六十年。夫には先を越されたが大病も小病もなくいさかいは多々あれど幸せな今をいただいている。
「云われた通り私は幸せですよ。そして砥石も生きていますよ。」と伝えたい。今に思う砥石は包丁を研ぐもの。研いでみがくもの。
同時にみがくのは心! そう父は心をみがけと教えたかったのではないかと。旅立ちの時は最後までさん橋でひとり見送って下さった心が今になって響いてくる。

お天とうさまに恥ない人の道を歩めと。こんな歳になって今さらながら親を偲びます。日本酒が好きだった父。今夜は夫と父にも手向けよう。

                          皐月二十四日

PS、自然石の砥石は力を要せずスムーズに研げるとご報告。料理担当の奥さまからはおネギもわかめも数珠つなぎは解消されましたとのこと。
砥石も再婚先によろこばれています。

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