私のクリスマス
朝夕こがね色に輝きをみせていた公園の雑木の葉っぱが散る。
枕冊子清女の表現を借りれば「風のいとさわがしく吹きて、黄なる葉どものほろほろとこぼれ落つる、いとあわれなり」
ほろほろと葉の散るさまとはいかがと、灰色になった脳細胞をかきたてる。
視界には、北から西からと吹きあげられる風に乱舞する葉っぱ、くぬぎやこならの類である。根元には落葉のジュータン。積み重ねられふかふか。
私はその中に飛び込みたい衝動にかられる。
そんな落葉の季がすぎると、世の中はクリスマスだ。
街では音楽が流れ、電飾でにぎわっていることだろう。
人の心もあたたかく、ほのぼのとした思いのシーズン十二月。
私も子供だったころのクリスマスに、いやサンタさんからのプレゼントに想い出がある。
小学校低学年のころ、住いする小さな町の一角に日曜学校なる集会があった。たしか、耳鼻科病院の狭い待合室を会場に子供たちに讃美歌や、ゲーム風に教えをいただいた。
そしてそのキリスト様のお誕生日にサンタクロースという方から、プレゼントをいただけることを教わった。
終戦後のまだまだ人々の生活はきびしく、つつましく生きることに精一杯だった日々……
イエスさまなどという外国人の教えなど、当時の両親には理解する余裕などなかったと思う。
それなのに単純な子供だった私の頭には、クリスマス・サンタクロース・プレゼントと一直線に入り込んだ。
当時、珍しい二十四色のクレヨン、そして下駄(いまの靴)のプレゼントをサンタさんにお願いした。
クリスマス・イブの夜、枕元にくつ下を置き、「サンタさんって何時ごろ、どこから来るのか・・・」と思いつつ目覚めるとあった!
ありました! 二十四色のクレヨンと下駄。
私の喜びがはじけ飛んだ瞬間、私はふたつを持って家を飛び出し、サンタさんが来た!とふりかざし狭い町を駆け回った。
そして、翌年のイヴもくつ下を枕元に置いたが翌朝お札が一枚……
サンタさんには、その準備の時間がなかったようだ。
その後も、サンタさんとの出会いはなくあのときの強烈な記憶だけが懐かしく、いまだに私の胸に残っている。
今年は久しぶりに五十年来のツリーを出した。
折りたたみ式のツリーは、箱はつぎはぎだらけで経年劣化でわびしい姿になっているが、私には想い出と共に愛おしい。
飾りものは、ほとんど新しく変わった。
夫より先に逝った長女からのスヌーピーのカード。
私が好きなスヌーピーを見つけた、との手書きのメッセージがなつかしく
心痛む。そして、次女からのアドベントカレンダーもツリーの元へ。
いろいろな想い出をツリーに託す。
先ほど近江の友人から宅急便が届いた。
私が愛するターシャ・テューダーさんの本と、彼女の隣にある神社の落葉のかずかず・・・
季を心得たおしゃれでうれしい最高の贈り物に感動と感謝。
さぁ今年のクリスマスは久しぶりに、シフォンケーキを焼きましょうか。
2023.12.12
経年劣化の進む元こどもより
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