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ラスト・ラン

「山へイコカ 川ヘイコカ」「空ヘイコヨ」

寒山拾得さん達の問答を遊びことばにドライブ日和の目的地は決まる。
夫はお弁当づくり、私はポットにお湯とお抹茶の準備、出発はお昼を過ぎてしまう。

幸か不幸か夫は免許を持たないが方向に強い。地理オンチの私が運転手となりナビを入れて出発するが急に方向転換を強いられる。ナビは元へ元へと誘導する。そこで車内トラブル勃発。おかげで一度事故になり、人身には至らなかったが、車に大怪我をさせてしまった。車負傷は多々あり。

三十歳代に免許を取った私新米ドライバーは新車入庫早々にガリガリとドアを傷つけ最後四代目の新車もガレージ入れでバリバリ。
私の愛車遍歴も無惨なものでありました。

ドライバーとして夫の晩年入院中毎日お見舞いができたこと。いっとき長女の入院と重なり二カ所の病院巡りもできました。
おかげで悔いのない看病で見送ることが出来、自分なりのお役目は果たしたと思っている。

さて私80歳目前にして初めて体力の低下を感じるようになった。
白内障もありその手術の決断がつかないまま免許返上を決意した。
世の中高齢者の事故が多発しメディアがかまびすしい状況。
体力も人各々だし免許放棄は自己判断すべきだと私は思っている。そして私はノー・カー、ノー免許に踏み切った。
最後に想い出の地を走ろう。自分に問う。どこへ行こう。
私のラストラン。

緑美しい五月私は最後の車ブルーバードで西の京唐招提寺を目指した。
学生の頃にも古美術部で訪ねたこともある。今まで何度足を運んだことだろう。「天平の甍」で知られる美しい金堂。
日本画家東山魁夷氏が御影堂へ障壁画を奉納される前から夫ともその経緯をみてきたみ寺である。御影堂は開山忌だけ鑑真和上像を拝することが出来る。和上像前のお焼香台で手を合わせる時いつも胸にこみ上げるものがある。盲目の御身で日本の地をめざされた苦労と熱意に、供えられた笹ゆりが美しく優しい。今日は和上さまを拝することは出来なかったが御廟にお詣りする。

杉の木々が光を求めて高くたかく伸び、木もれ日が緑の苔に舞う。御廊もいつも清浄そのもの。何十年前になるが息子の大学受験祈願にも手を合わせた。
ある時、南大門前で故人となられた森本長老さまがひとり、じゃりに落ちたゴミをそっと手中におさめていたお姿をお見かけした。当たり前のことをされているのだが痛く心に残っている

長老さまご健在の折ひらかれた講堂前でのクラシックコンサート。
観月会等の想い出。夫がすすめてくださった冊子「唐招提寺への道」(東山魁夷著)を胸に美しくやさしい土塀沿いを歩いた。
そして円成寺へ。奈良市内を抜け柳生方向へと走る。

山中の道を行くと忍辱山忍成寺はある。いつも穏やかな池と緑で迎えて下さる。人影もなくひとりご本堂へ。うす暗い中で阿弥陀如来さまに目を閉じて手を合わせる。

般若心経をとなえながら目を開く。雲が切れて日ざしがご本堂の床を照らす。見上げると光の中でリンと阿弥陀さまが見おろされている。結界を張られたような緊張感。夢殿の救世観音様の優しいお口元ではない。中宮寺の弥勒菩薩様の微笑みもない。「自分の道を行きなさい」と、教示をいただいたように思う。神々しいばかりの堂内での如来さまを拝することが出来た。

この日の私の最後の走りに心残りはない。
免許返上して五年になる。行動はん囲は狭くなったが不便を便利として楽しみ奈良の風の中で今日も生きている。

                           弥生十五日

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