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シェフ交替

能登半島はどこまで行っても荒らされていない海岸線が綺麗だ。

作家立原正秋氏はエッセイに書かれている。私はその半島を訪ねたことはないが、その景観も人の営みも一瞬に消えた。多くの内外からの援助で道を直し命の水をつなごうとしている今、県知事はテレビで訴える。
「石川に観光に来てください。温泉も健在です。」
人も物もお金も回さねばならない現状。
ささやかながら私も必ず石川の美味しいお酒を買いましょう。

こんな憂うべき時に私ごとの市井の暮らし台所事情を綴ります。

七十才でサラリーマン生活を卒業した夫。今から約20年前のこと。
彼は即、机・本棚・イーゼルを買い自分の居場所を確保した。そして囲碁・油絵・料理をつくる。
ついては一日三食作りをするとのたもうたが私は朝食だけは自分の領分として残してもらった。現役の時も包丁を持ち、お魚もさばき、うどん打ちも経験がある。

さて午後五時過ぎる頃、熟考した献立用紙を持って台所に立つ。まずエプロンをつけ、清酒のコップ酒、「うまいなぁ」と一言発して調理が始まる。
ビールはほとんど飲まず常温の日本酒一筋。晩年はなぜか焼酎にかわった。私は大量容器のものは敬遠して長年働いた夫への謝意として良質のものを選んだ。

調理が始まるとさあ大変である。調味料・材料が足りないと即調達を命じられる。友人から羨ましがられた私ではあるが忙しかった。
彼のシェフ役も慣れるほどに速くなり食材もそれなりに回せるようになった。

水上勉氏が「土を喰う日々」に書かれている隠侍(いんじ)時代に老師に言われた言葉「畑に相談して・・・」。畑に相談するという私の大好きな言葉である。現在私たちの畑は冷蔵庫(?)。その中からメニューを考える。
そのことこそが我々の精進ではなかろうか。中川一政氏の題字は、うすくなり布目の手触りが心地よい初版本。私のバイブル的存在である。

夫は和・洋・中なんでもつくった。市販の調味料は好まずほとんど自家製。冬の来客には鍋もの。いつの頃からか「きりたんぽ」が主流になり今日に至っている。
又、私の友人にお茶の集まりにも作務衣姿でそれなりに客人の口を満足させてくださった。

桜の季節は近隣に住む高校時代の数名の友人とお花見を楽しんだ。もちろんお弁当担当は彼が引き受けて一人前ずつのお重詰め。花より団子でありました。

年末のおせち作りは、我が家の最大イベント。 三十余種を書いた用紙を前に始まる。黒豆などの豆類は私担当。夫は助っ人とよろしくお酒を飲みのみ進行。四段重の出来上がりは例年、日付が変わっている。

彼のレパートリーの中で一番人気はなんといっても煮込みハンバーグ。
孫たちの大好物となった。大阪で居た孫娘が急きょ夕食参加となったうれしい食卓もあった。
今でも「おじいちゃんのハンバーグ食べたいな」とポツリと言ってくれる孫。私達の味が彼達の記憶のどこかに残るかしら。私も今でも母の味、故郷の味がふっとよみがえる。

私たちにたくさんの味を残してくれた夫もシェフ歴12年で幕を下ろした。

友人とのお花見を楽しみ入院前夜まで台所に立ち私の食事を作って下さった。誰かにおいしい食を届けるのが楽しみであり、よろこびだったように思う。
私は新しいお鍋を準備しエアコンも洗浄して退院を確信して待った。
しかし三ヶ月の入院生活の結果、あっけない旅立ちとなってしまった。

彼の描いた日々の献立は残してある。美しい気持ちのよい字と共に、料理の出来上がりの絵入りのもあり、いかに楽しんでいたか察せられる。使い古した料理本も痛々しくなり買い替えたいという彼を制して「こういうのが味があるのよ」と、これも手元にとってある。

私だけだけの台所になり訪ねてくれた高校生の孫が云う。
「おばあちゃん、何か手伝うことありますか」
かのパパは言って下さる。
「お義母さん、ぼくします」
私のシェフは健在です。

今年の節分に友人から立派な手づくりの恵方巻をいただいた。
鬼は外、福は能登へと送ります。

                      春は名のみの中で

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