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琵琶湖周遊の旅

奈良に住まいするようになり、琵琶湖一周を夢見るようになった。
距離的近さもあり、その歴史の郷愁のようなものに惹かれたように思う。
周囲 235キロメートル湖面にある竹生島に弁財天が祀られ琵琶を連想してその名があるようだ。その広さ県下1/6を占め県人は湖(うみ)ともいうらしい。

「淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば情もしのに古思ほゆ」

いつどこで習ったか、この古歌があこがれの思いを重ねる。
こんなささやかな私の思いを夫に話していたにちがいない。

今から14年前、あこがれの旅を計画してくださった。
今ではゴルフ場もたくさんあり、現役時代よく利用していた彼は周辺地理には詳しい。永源寺土産の赤こんにゃくもよくいただいた。パプリカの黄色や赤は許せても、赤いおこんにゃくにはたじろいだ。

私の希望を聞くまでもなく、スケジュールは完成。
奈良から西岸へ左回りのコースを二泊三日で巡る旅となる。
手段はマイカー。運転手は私。助手席は彼の指定席。
秋十月初旬、山の木々が色づき始める頃の出発となりました。

一日目
大津市坂本。かたじけなくも日吉大社をお参りすることなく昼食。
創業280年余りという鶴喜そば店。
冬の季節予約をすれば本鴨が供せられるいうが今はどうでしょうか。
このとき私は何をいただいたか記憶にない。

食後、湖西道路を走り高島市マキノのメタセコイア並木へ。
すっくと立つ木々のグリーンロードの美しさにいたく感動したのを覚えている。メタセコイアは今ではどこにも見られるが和名アケボノスギとか米国から昭和天皇へ贈られ皇居の森深く健やかに成長されているようだ。

今夜の宿泊地マキノプリンスホテルへ。窓から湖西の竹生島が見えロケーション抜群。一歩出ればプライベートビーチのような湖岸が広がる。
ログハウス調の木のあたたかみあるお宿でありました。

二日目
春ならば桜並木の美しい海津大崎から湖北パークウェイを走り向源寺の十一面観世音菩薩を拝す。時勢に翻弄されながらも地元住民に守られ生き抜かれた観音さま。
一木彫成の二メートル近くある像は収蔵庫にひとり堂々と立たれ優しいまなざしを送って下さった。
長浜で昼食に鯖ソーメンを初めていただいたが、ちょっと魚臭さ鼻に残った。

八日市インターまで高速で走り日登美美術館へ。バーナードリーチ氏等の作品を拝見。私の好きなルーシー・リーさんのお作にもお目にかかったような。
愛知川沿いに初めて永源寺へお詣り。楓の美しい境内は修行の寺らしく静かで清々しかった。

今夜のお宿は、川上にある日登美山荘とか。鈴鹿の山々を背に三百年の歴史ある古民家。一日一組限定の囲炉裏ある広い室内は私たち二人だけで独占というなんとも贅沢なお泊り。お料理も素朴な土地のもので整えられ私共の疲れた胃にとてもやさしかった。

三日目

古民家のお宿を後に近江八幡の街歩きを楽しみ佐川美術館へ。水と建物との配置が美しい。常設の日本画・ブロンズ彫刻・楽家の焼き物等の作品群には胸おどらされる。当館を旅の終わりとして、近くに住む娘宅でひと休みさせていただき奈良へと帰った次第でス。

夫の予定表はすべてクリアするまでもなく私の夢は果たされた。ただ、惜しむらくは運転席の私には近江の景色を心から楽しむことができなかったこと。

14年後の今、当時の記録・写真などを見て驚いた。私の激ヤセの写真。
たしか17キロやせた当時、減量に励んだわけではなく長女とのトラブルでストレス満杯になり激ヤセとなっていたのです。そんな私を気づかっての配慮だったと思う。かの人の心尽くしの旅を今しみじみと懐かしく思う。
今は昔、七十代夫婦のたわいもない旅でありました。

PS:この旅の後、長女も夫も天上の人となりました。近江には次女夫婦や友人とのご縁をいただき訪れる機会にも恵まれました。今では助手席の人となり景色を堪能させていただいているラッキーガールことグランママでございます。

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