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ふたつの贈りもの

忘れもしない2020年9月27日。

背中に黄色のリュック、両手に大きなバッグを持つ若者が玄関に立った。
御年18歳。切れ長の清々しく美しい目をしていた。
娘の長男我家の同居人の到着である。

コロナ禍のまっただなかの春、彼は大学生になった。
親元を離れたいという希望で母なる娘は独り居の祖母を選んだ。
娘なりの私への大きな大きな贈りものであった。
私の好きな和菓子と私宛のメッセージが託されていた。

「とうとうこの日がやってきて送り出す嬉しい気持ちと哀しい気持ちが交差しています。お母さんのお守り隊となればよいのですが、お世話にたくさんならせて下さい。よろしくお願いします。」

彼との同居生活にあたり彼へモンロー主義を提案した。

お互い干渉しないということ。
何代目かの米国大統領モンロー氏の対外へ示したもの。
しかし生活が始まると年の差60という違いを思い知ったのです。
孫はIT時代の宇宙人だったのです。
私には当たり前のことが彼には不便だったろう。
くいちがいは多々あるが彼は苦言も提さず。

食事のときも入浴までもスマホ持参。外出後は電気があちこちついている。
電気代支払い元としては消してまわる。おさしみはお醤油不要。
切身のおいしいはずの皮は残り干物はまん中の身だけ食べる。
(おさかなさん、ごめんなさいとあやまっておく)
しかし、ひじき、切干し大根等の煮物は食べてくれる。
完食されるととってもうれしい。
「食は体と心をつくる元、昼食もちゃんと食べてね」とこれだけはモンロー主義外とご注進している。

週三日のバイト、学業、友人との交流もつつがなくコロナにも敗けず私見には楽しんでいる様子。そんな彼も春には卒業となる。
娘からの贈りもの。
孫とのいや宇宙人との時間は充分にエンジョイさせていただきました。

もう一つの贈りもの。

スムーズに親ばなれしていった息子。
年に2・3回の電話。たまの帰宅と距離のある存在である。
そんな彼から去年、母の日常を文章化してはというおさそいをいただいた。
ブログという私には無縁の世界で彼は遊んでいるのだ。

私は書くことは嫌いではない。
友人との手紙のやりとりを楽しんでいるし毎晩ターシャ・チューダーの手帖に書くこと十三年目。
この年月のことを自分なりに表現するのもいいかもと、おかげさまで世のなか疎遠になり残る時間自分のしたいことは何かと問うていた時期に書くという作業に巡りあえた。

文章化したものを誰かが見て下さり感想(コメントというらしい)もいただくというブログの世界。
寒くて部屋にこもり時おり雑木越に神山を眺めながら思いをつづる。
遠い存在の息子にも感謝を届けねば。
こんな老い方もある。こんな人もいる。
こんなに幸せでいいのかと能登の悲惨さをテレビでみながら申しわけなく思う。

いまの私にとって思いがけない娘と息子からの大きな大きな贈りものでありました。

                      感謝の日々の中で
                      睦月二十四日

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