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若葉して

いつの間にかみどり滴たる季節になった。
その昔、松尾芭蕉翁も大和を訪ね唐招提寺鑑真和上像を拝し句を残された。

若葉して御目の雫ぬぐはばや

翁のやさしさが体温として伝わる。
寺近く所々残る田畑の田植も終わり水面に早苗ゆれる季節。

今年も開山忌(和上七十七才で五月六日遷化されたが新暦六月の前後三日間御開帳される)にお参りの機に恵まれた。
半年前からこの日のために時間調整しながら同行してくださる娘と同年代の彼女は私の力強いサポーターの一人だ。
忙しい彼女をおもい簡単におにぎりと卵焼きを準備した。
唐招提寺駐車場横の売店前にベンチがある。
そのベンチに座り東方に若草山春日山高円山のなだらかな連山を前に2人でささやかな昼食をいただく。

思いのほか大型バスも自家用車の駐車も少なく、ゆっくりとお参りできるとワクワク。
山門を目指す角地に大きな栗の木がたくさんの花をつけていた。彼女は栗のお花は初めてとシャッターを切る。

南大門からみる金堂のありようはもう異世界である。
砂利道を進みおだやかに佇む御仏達にも私の心は素通り。
美しい土塀も小浅れ日の小径も足早に和上像へと心ははやる。

入場制限のせいか御影堂前も人は少ない。
建物は興福寺境内の一乗院邸を移築されたという寝殿造り。右近の橘・左近の桜は各々に初夏を謳歌している。開山供養の幡も美しく青空にたなびく。
玄関で靴入れのビニール袋を渡され列に並び入堂へと誘われる。
処々にスーツ姿のチェックマンが立ち、その多さにうんざり。

東山魁夷画伯が二十余年の時をかけて描かれ和上像に奉納された障壁画。
拝見のたび、色も落ちつきうるし塗り黒枠に馴染んできた。深い青の波とうから音を聴く。列に従い一年ぶりの和上像とのお目もじです。
例年みる笹百合は無く花しょうぶの供花。お賽銭箱はあれどお焼香台はなくなっていた。横に立つ大柄な作務衣姿の男性が大きな声で「お賽銭を用意しておいてください」。
私たちはベルトコンベアに乗せられたように動く。
暗いお厨子の奥にお姿を認めながら手を合わせる。
今までお参りのたびに感じていたあついけいけんな思い。
今日は男性の一声に軽減された!
気を取り直して御廟へと歩む。

今日はくもの巣もなく苔むしたつくばいの竹筒も改められて水音も清々しい。とりまく木々はあくまで空をめざし苔はやわらに寺域は格別であり変わらない。

帰途、和辻哲郎氏が「古寺巡礼」に著された金堂の屋根のそりを確認した。正面からではなく、端の下から見上げる。
美しい! 素晴らしい曲線であった。工人の技そして後世それを認めた若き学者の目に改めて感動をいただいた。
私達は、いや私はふくざつな思いで境内をあとにした。
来年の開山忌は・・・・・・
六月五日奇しくも夫と長女の月命日であった。
例年にない遅い入梅。あくれば夏。梅仕事も終え夏支度をいそがねば。

水無月二十日

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