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迎春

大晦日から日付が変わる。若水をくみ神棚へ供えてご挨拶。
我家の年の始まりである。
お水は水道水だが年が改まると、なぜか神聖に感じるから不思議である。

ありがたいことに娘一家が年末年始の我家の行事につきあってくれて久しい。でも年は変われど私の仕事はこれから。品数はずい分少なくなったお節の料理がまだ残っている。

お重詰めは、婿殿が今年も担当して下さる。
また祝箸の名前書きは孫。筆ペンだが例年担当するうち十人の名前を粛々と書く。この座にいるはずもない夫の名前も、そして新入りさんとなるひ孫のものも加わった。

お祝いは十二時と孫たちに伝え各々就寝となる。
それでも時間どおり眠い目をしながらも元旦のお祝いの席につく。
お年玉をそして酒杯をあげる。去年のスパークリングは好評だったが本年のはまずまずのようで日本酒に切りかえる。備前・九谷・やむちんの次郎さん作のお盃を孫が棚から取り出して来る。
「備前?」と問う子にパパが説明。お頭付きの鯛は年々小さくなるがこの朝に焼くのでとても美味。いつも婿殿がきれいにとりわけて下さる。

お重のもの、お雑煮を食べて元旦は終わる。
二日初詣は近くの神社へ。年々本殿への階段がきびしくなり息切れがする。気づかう娘に見守られて今年も無事を祈ることが出来た。境内ではたき火もなくなり晴着姿も見なくなり華やかさのなくなった年始風景。

サァ、我家ではこれから孫ファミリーの登場だ。
新入さんは生後4か月半。まだ人見知り前で初めての輪の中にすんなりと入った。大きな孫たちも小さい人に慣れてやさしく迎えてくれた。
その中でひ孫は堂々と伸びやかに彼の人格を示す。人は産まれたときから各々のものを備え持っているのだとつくづく感じた。

彼の身体はまるまると二重に三重にもなった。手首・足首・そして美しい桜貝のような肌。赤児とはこういうものだとしみじみ思う。
いまこの歳だからこそいただく豊かさを、なんという幸せ・・・・・・
これからもどうぞ健やかに。彼の若い父と母に託す。

娘一家も帰宅して風通しのよくなった我家。
七日七草、例年どおりの粥づくり。カップ少々のお米と七草ならぬ三種(大根葉・水菜・小松菜)でお粥と丸餅を焼き輪島の塗師角偉三郎氏の合鹿椀でいただいた。
能登半島を揺るがした元旦の大地震に負けないでと激励の意を込めて両の手で椀を抱く。
こんなに大たんでごうかいな作品が産れる地だもの復興されるはず。
この寒いなか残れる人々の健闘を祈るばかりです。

庭の山しゅゆの蕾がふくらみ始めた。
別名迎春花ともいわれ黄色の小花が枝いっぱいに開くのを楽しみに、そして能登の人々に手向けます。
祈りの中で。

                          睦月八日

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