マガジンのカバー画像

シリーズ かくれ念仏

21
運営しているクリエイター

#真宗

【連載】かくれ念仏/No.11~鹿児島の真宗民語その3~

【連載】かくれ念仏/No.11~鹿児島の真宗民語その3~

五劫様

真宗の本尊である阿弥陀仏の像を拝むと、容易に一向宗信仰の嫌疑がかかるので、かくれ門徒の中には法蔵菩薩の像を祀り、これを「五劫様」と称した。

なぜ法蔵菩薩像を用いたかというと、五劫思惟の修行によるあばら骨の透く姿が、釈迦の苦行像に見えるため、一向宗の嫌疑があっても、これはお釈迦様だと言い逃れられたからだという。

この像は、齊藤家の二代目、齊藤全流が鋳造し、同型のものがいくつか遺っている

もっとみる
【連載】かくれ念仏/No.9~鹿児島の真宗民語その1~

【連載】かくれ念仏/No.9~鹿児島の真宗民語その1~

鹿児島の真宗民語

鹿児島の開教使がもっとも痛感した障害は言語の壁であったという。
現代においても薩隅方言がむずかしいというのはよく聞く話。
訳の分からない言葉を浴び続ける日々に辟易しただろうことは想像だに難くない。それはさながら国外開教である。

しかし、鹿児島には、真宗との邂逅によってうまれた独特の真宗民語(門徒ことば)もある。

土徳の籠るそれらの言葉は、〝真宗〟と〝鹿児島〟という、形而上下

もっとみる
【連載】かくれ念仏/No.1~教如の念仏~

【連載】かくれ念仏/No.1~教如の念仏~

●教如の念仏

本願寺12代法主であり、大谷派開祖の教如は戦国時代の真っただ中を生きられた人だ。特に23歳時が激動の年であった。13歳からの大坂本願寺戦争(いわゆる石山合戦)が終結したものの、尚も4ヶ月間に及ぶ大坂抱様の末、本願寺は焼失。その間に父顕如には義絶された。

それでも教如は自身の信念を貫き、24歳の1年間は特に信長勢からの人目を逃れ、「山上源大夫」という名前を名のり、浪人の姿で流浪の生

もっとみる