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支援とは

児童発達支援・放課後等デイサービス、と聞いてピンとくる方はどれくらいいるでしょうか?「発達に遅れや偏りがある子どもが来る学童のようなところ」と言うと何となくイメージがわくかもしれません。ADHDや自閉スペクトラム症、アスペルガー症候群、学習障害、知的障害、と言った診断を受けた子が多く利用しています。

日常生活の中で、いわゆる“平均”よりも、困ったり苦しんだりする場面が多い子どもかもしれません。

私は今、この児童発達支援・放課後等デイサービスと言われる場所で働いています。

18歳以下の子どもが学校の授業を終えてからやってくる教室。

多くの親は子どもの1歳半検診や3歳検診の時に発達の遅れを指摘されたり、幼稚園や保育園、学校の先生に指摘されたことががきっかけでこのような施設の存在を知り、利用することになります。


私は元々学校の教員をしていた経験があり、そこで一人一人に合った教育をすることの難しさを感じていました。

それに対して児童発達支援や放課後等デイサービスは、一律のカリキュラムのようなものはなく、一人一人に合わせて作成した個別支援計画を元に子どもと関わることができます。


昨日、ある教育イベントで耳にした言葉がとても印象に残りました。

子どもの凸凹を無理に平にしようとしないことが大切。


まさに、私もそう思います。

出る杭を打って、凹んだ杭を出そうとして、平を作る教育。

それって本当に子どものため?そんな問いが頭を過ぎります。子どもに出来ないところがあると、周りの大人達はそのまま子どもが歳を重ねて大丈夫なのかと不安になります。“子どものために”出来ないところは出来るようにさせないといけないのではないかと、思ってしまうのです。このまま社会に出てやっていけるのか?と。

私は仕事柄、多くの親御さんと話をする機会があります。ほとんどの方は、子どもに何らかの障害が合ったり、同じ学年の子どもと比べて発達がゆっくりだったりします。

子どもの凸凹を無理に平にしようとしないことが大切。


この教育観は、多くの大人が納得するでしょう。

でも、自身の子どもの発達検査の結果を見た時に、どの項目も平均より低くて、頻繁に癇癪(かんしゃく)を起こしたり、周りの人とのコミュニケーションが上手くとれない我が子を見て、どれだけの親が、「無理に凸凹を平にしようとしないこと」を大切にして子どもと関われるでしょうか?

多くの親御さんは、責任感があり、子どもには自立した大人になってほしいと願っているし、常に自身の子育ての仕方が本当に正しいのかと悩んでいるように感じます。

「子どもの凸凹を無理に平にしようとしないことは大切だと思ってる。でも、私が困ってるし、疲れ切っている。不安な気持ちをどうしたらいい?辛そうな我が子を見て、何をしてあげたらいい?」

と、そんな風に訴えているような気がします。

・宿題に取りかからないからやらせてほしい
・長時間座っていられないから、ちゃんと座れるようになってほしい
・喜怒哀楽が激しいから感情のコントロールができるようになってほしい
・友達と上手く関われるようになってほしい

普段の面談は、そんな悩みを聞くところからスタートします。

その裏にある“想い”と“具体的な場面”を、私は丁寧に聞き取っていきます。

「長時間座っていられないから、ちゃんと座れるようになってほしい」というニーズに対して、「では、ここで長時間座れるように訓練しましょう」となったら、それは支援ではありません。

「長時間座っていられないと感じるのはどんな場面ですか?」
「立ち上がった後は何をしていますか?」
「立ち上がった後、周囲の大人はどのように関わっていますか?」
「逆に長時間座っているのはどんな場面ですか?」

そんな質問から始めて、“誰が”“何に”困っているのかを確認していきます。そして、親御さん自身の生活や周囲との関係性のことも質問します。

人は、自分自身が大きなストレスと抱えていると、身の回りのあらゆることへの考え方もそれに伴って変化していくものだと思います。

親自身が、(お金がある、という意味ではなく)豊かに暮らしているのか?自分らしく生きているのか?そんなことも、子育てには影響しているのです。一見すると子どもの課題のように見えても、実は親自身の課題であることもよくあります。

そんな視点を持ちつつ、子どもが本当に苦しんでいることや困っていることは何なのかを見極めて支援することが、児童発達支援や放課後等デイサービスの役割だと、私は思っています。


支援とは、決断の機会を奪わないこと。

ある方がそう表現していました。

良かれと思ってあらゆる介入をするのは、支援者のエゴではないかと感じます。

子どもに対して自分自身に関する選択肢や情報を提供すること。そして、より適切な決断ができるように子どもの意見に耳を傾けること。私たちが注目しなければいけないのは、診断された障害名や社会の常識ではなく、子ども自身なのです。

そして、子どもの養育者である親を支えていくことも、子どもの決断の機会を奪わないために必要なことではないかと感じます。


最後までお読みいただきありがとうございます(*´-`) また覗きに来てください。