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中村佑子「サスペンデッド」シアターコモンズ'21:精神疾患を患う親がいる子の視点を体験するAR映画

病の時代に身近なこととして捉える生と死

映画監督・作家の中村佑子さんが、母親がうつ病だったという自身の体験と、知人2人の親が統合失調症だった体験を基に制作したAR映画「サスペンデッド」。

「シアターコモンズ'21」のプログラムの一つで、会場のゲーテ・インスティトュート東京でヘッドセットを装着して、家の玄関、キッチン、リビング、廊下、寝室などに仕立てた部屋を回りながら、各部屋の空間に現れる映像を鑑賞する。

現場でのAR体験のほか、ウェブサイト(Vimeo)で映像のみを視聴することも可能。

リアルとリモートで体験するアート「シアターコモンズ'21」

コモンズパス(一般7800円、完売)を購入すると、「シアターコモンズ'21」のすべてのプログラムをリアルとリモート(オンライン)の両方で体験できる。

ただしリアルについてはコモンズパス購入後に個々のプログラムの日時予約が必要だった。リモートについてはコモンズパス購入後、メールでURLが送られてくる。

リモートパス(3000円)はリモートで提供しているプログラムをオンラインで視聴できる。視聴期間は、最長で3月中までのものもある。

AR、VRのアート作品

「シアターコモンズ'21」ではAR、VR作品が複数紹介されている。私がアート作品でAR、VRを使ったものに参加するのは数回目だ。

今回の「シアターコモンズ'21」のそれらの技術を使った作品については、どうやって進めていくのか戸惑ったものもあった。事前に簡単な「お約束」は説明されるのだが、それだけでは始まってからどう事態を動かせばいいのかがわからなかったり、行動を間違えて順番を飛ばしてしまったりした。

例えば、「サスペンデッド」であれば、白い靄のようなものが見えたらそちらに進んでくださいと言われたのだが、それが見えづらかったり、一室で投影される映像が終わらないうちに視線をほかに向けてしまうと、映像が途切れて次の映像に映ってしまったりした。なお、その場合、スタッフの方に申し出れば最初から体験し直すことは可能だが、途中からやり直すことはできない仕組みらしい。

これは鑑賞者のリテラシーの問題もあるのだろう。パソコンを使い慣れている人にとってはキーボードとマウスで容易に操作を開始できるが、そうでない人にとってはどうすればいいかわからないように。私の勘が鈍いのが原因というのも大いにあり得る(笑)。

ただ、今後、アートや映画に限らずARやVRを普及させていく上で、幅広い年代やリテラシーや特性の人々が無理なく使えるようにする工夫は必要ではないかと改めて思った。

ヘッドセットが重くて締め付けもつらい、今はマスク着用必須なので息が苦しい、などは、テクノロジーの向上で改善され得るのか?

親が病んでいるということ

「サスペンデッド」(日本語訳としては「宙づり」といった言葉になる)の主人公は小学生の女の子。母親が精神疾患で寝ているかぼんやりと座っていることが多く、薬を服用している。父親の存在はほのめかされているが姿ははっきりとは映らない(という印象を持ったが、どうか?)。

女の子は朝、自分で朝食を用意するが食欲がない。まだベッドで寝ている母親に静かに声を掛け、自分で鍵を閉めて家を出ていく。

友達からの遊びの誘いは断って学校から帰宅し、薬を大量に飲んだ痕跡があって横になっている母親の姿を見て、どこかへ電話をかける。

たまに母親が少し元気になって、好物の夕食を作ってくれることもある。母が好きなピアノ曲を女の子にトランペットで吹いてと頼むこともある。

だがそういう楽しい時間は一瞬で、黙って出て行ってしまったり、やっと見つけても逃げたり、感情が完全に失われて状態が悪化し、入院してしまったりすることが多い。

ラストで女の子がトランペットを吹くが、母親は反応しない。エンドロールでは、同じ曲がピアノとトランペットで演奏されるのが流れる。女の子が夢見る、母親との音楽の共演の調べなのかもしれない。

せりふは女の子のナレーション、女の子と友人の会話、女の子と母親の会話から成る。約30分の作品だ。

母親の様子は今日はどんなだろう?自分が帰宅するまで無事で家にいるだろうか?という不安定さと、何かあって自分が発見者なら自分が対応しなくてはならないという責任のプレッシャー、母親はなぜああなのだろう?ひょっとしたら自分のせいなのか?それでも自分が母親にしてあげられることはあるか?という苦悩と、本来は親が子に抱くであろう慈愛のようなもの。

そうした感情と状況が、短いけれど丹念なシーンの積み重ねで提示されていく。

子どもが一人で抱えるには、あまりにも重い。

途中で引用される19世紀アメリカの詩人Emily Dickinson(エミリー・ディキンソン)の詩の次の一節も、重い。しかし、こうした言葉が支えになることもあるということなのか。

If I can stop one heart from breaking,
I shall not live in vain;
If I can ease one life the aching,
Or cool one pain,
Or help one fainting robin
Unto his nest again,
I shall not live in vain.

AR映画とオンライン映像の違い

当然だが、映像自体としてはオンラインで見る方が鮮明だ。順番もわかりやすい。つまり受動的に視聴できる。

会場で体験するAR映画では、部屋の中の空間に映像が現れ、後ろの風景が透けて見えている。窓からの風を感じ、映像の中で起こっていることと関わりの深い、実空間での物質(台所、ベッド、その他家具など)を同時に見ることができる。映像の鑑賞後は部屋を見て回り、母親から精神科医への手紙や母親の愛読書を眺めることもできる(触るのは禁止)。自分が体を動かすことで場面が進んでいくという能動性もある。

外の世界を感じながら体験できるAR映画は、ウェブサイトで視聴するだけよりも、感受性を深く広く刺激される気はする。リアルで体験後に、オンラインで映像自体を確認できるのはよいかもしれない。

作品クレジット

監督・脚本|中村佑子

出演|宮下今日子、ソニア、宗雲凜音
撮影|佐々木靖之
撮影助手|上野陸生
音響|黄 永昌
照明|後閑健太
美術|出井奈保
衣装|臼井梨恵
ヘアメイク|くどうあき
助監督|佐藤 駿
VR制作|株式会社A440
協力|加藤枝里、夏苅郁子、久永隆一
会場協力|ゲーテ・インスティトゥート東京

製作|シアターコモンズ 、株式会社A440


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