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SNSと疾患とわたし。


まるで某名曲のようなタイトルですね(笑)

こんちには。りたです。
お友達シリーズ書いていきます。

強迫性障害を持っている、私。
症状の一部として「加害恐怖」と「被害恐怖」があります。
その影響でSNSが苦手です。
(元々興味も薄いタイプでした。)
なので、上手く付き合えている自信はありません。


SNSを利用する際に出てくる症状

・アカウント登録の時点で、個人情報を特定されないか不安になる。

・登録後も、誹謗中傷をしていないか不安になる。
(何も投稿していなくても。)

・誹謗中傷しているコメントに反応してしまっていないか不安になる。
(そういうコメントを目にしただけでそうなります。)

・何かを投稿する時に、誰かを傷つけてしまわないか怖くなる。

・何度も大丈夫かを確認する。

こんな状況なので、SNSは疲れます(笑)

特にXは、症状が顕著に出たので怖すぎてすぐに辞めました。
Instagramも完全に推しの投稿を見るだけのものです。
それ以外のSNSは、アプリすら落としていません。


きっと私の症状を鑑みて行動するのなら、SNSなんてやるべきではないはずです。
触れること自体、精神衛生上あまりよくないのかもしれません。

ですが、私はそのSNSの1つであるnoteを使って、自分の疾患のことを書いています。
矛盾していますが、この活動は私の意欲にもなっています。
正直、どんな記事も怖い想いをしないで投稿したことなんてありません。
今でも、怖いです。
更新が出来ないときだってあります。


それでも、noteを続けられているのはnoterさんとの交流。
数多くある素晴らしい記事から、貰う刺激。
そして、なにより「私だから書けることがあるかもしれない」と思えた気持ちを信じたいからです。

言ってしまえば、強迫性障害は私の全てではありません。
私のほんの一部分です。
ですが、noteではある意味大きな存在意義だと思っています。
そう思えるようになりました。
こうした記事が書けるのも、私が当事者だからです。

発信することの怖さ。
少なからずも出てくる承認欲求。
勝手に比べてしまい浮かぶ自己嫌悪。

noteを始めた時、必ず起きると分かっていた感情たちもそれなりに対応できるようにもなりました。
ですが、それはnoteが他のSNSよりも民度が高く。クリーンな空間だからだと思います。



SNSがきっかけで精神疾患を持ってしまう方も世の中には居ます。

「嫌なら見なければいい」と簡単に片づけてしまう言葉。
「上手く付き合えないなら辞めればいい」と傷つくほうが悪いかのように伝わる言葉。
見えない誰かの言葉に感情を乱されるのであれば、利用しないこともひとつの手なのかしれない。

ですが、見えない誰かの言葉に救われることもある。
何気ない言葉で柔らかくなる感情もある。

私が救われた言葉があるように、私の言葉が誰かを救うかもしれない。
そんな投稿が出来る人になるために、言葉とSNSをもっと学び続けようと思います。


りた



#強迫性障害
#お友達

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