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黄金をめぐる冒険⑳|小説に挑む#20
黄金を巡る冒険①↓(読んでいない人はこちらから)
”地獄の道”は、僕の体を食事というエネルギー摂取の代わりに”思考から生じるエネルギー”を必要とするヘンテコなシステムへと変えてしまった。
何も食べないし何も飲まない。
食欲の煩悩は消え失せ、空腹に苦しむことも無くなった。第二の脳である腸の役割は減り、消化も排泄も必要ない。
そして代わりに、考えることを止められなくなった頭を得た。
これが良いことなのか悪いことなのか、さっぱり見当がつかない。ひとまず腹が減って困る、という心配は無くなったのだろうか?
食欲が無くなるとはどういう感覚なのだろうか?
そもそもエネルギーとは何なのだろうか?
なぜ食事が必要ないのに便所があるのだろうか?
ご婦人の言う通り、思考が止まらない。
「お前さんはここで考えることを止められない」、そう言葉にされてから、僕は僕が考えていることについて嫌に意識してしまっている。思考が煩わしくなった。
だが、なぜ食事が必要ないのに便所があるのだろう?
「なに、そんなことが気になるのかい?」
気付かない間に、僕の無駄な思考は口から洩れてしまったのだろうか。ご婦人はにやにやしながら、そう言って笑っていた。
「いえ…… ですが、食べることを必要としないならば、ここでは排泄すら不要なのではないのですか?」
「その通りだよ。だがね、ここにはお前さんみたいにそう割り切れる者ばかりではないのだよ。お前さんと違って望んでここに来たものはほとんど居なくてね、それぞれが漂浪者みたいに、表の世界から流れてくるのさ。だからここの現実を受け入れられず、元居た世界の習慣を続けようとしてしまうのさ。腹が減ってなくても、それが必要なくても、自分たちの現実を受け入れるのが怖くて食べちまうのさ」
「それは、とても不憫なことですね……」
「そうさ。だがそれは普通のことだろう? 人はみんな普通を求めるのものさ。”人はみな、どこかおかしい”のさ。だから普通というものに憧れる。お前さんは違うのかい?」
”人はみな、どこかおかしい”、そう言われて、急に頭が痛くなった。遠い昔、誰かが同じことを言っていた気がする。それは夢のようだが、その声ははっきりとした肉質を帯び、僕の鼓膜を振動させていた。
一体、普通とは何なのだろう?
僕はなぜ容易く目の前の現実をすぐに受け入れてしまうのだろう?
僕もどこかおかしいのだろうか?
「言ったろう、”人はみな、どこかおかしいのさ”。だから当然お前さんもどこかおかしい。普通とはね、みんなが無意識に自分の欠陥に気付き、そしてその欠陥が無い存在を組み合わせて作る理想の姿なのさ。いわば、理想的な集合の共有のことさ。普通を求めることは、人の持つある種の正徳なのさ」
「ならばあなたも、理想として普通を求めているのでしょうか?」
「それは人に限ったことさ」
ご婦人の口調は淡白だった。
***
僕はまだ辛うじて”人”をやれているのだろうか?
僕は”普通”になりたかった。目の前の現実を受け入れること、世の流れに身を任せること、相手の意見を聞くこと、一つ一つしっかりと考えること、客観的に見て意見を言うこと、よく水を飲むこと、たくさん本を読むこと……
全て”普通”になりたくてやってきたことだ。それが今の僕をかたち作っている。だが、それはただ僕の欠陥を隠ぺいするだけの薄っぺらい理想だったのだろうか。それは他者から見た時に、本当に”ふつう”として目に映るのだろうか。人それぞれに”ふつう”があるとすれば、僕が目指した”フツウ”はただの欠陥に立ち戻ってしまうのではないのだろうか。
僕はまだ辛うじて”フツウ”をやれているのだろうか?
「少なくても、お前さんは今ここに立っている。それは紛れも無いことさ。そして”真理”に向かって進むしかない。ひとまずそうだろう?」
ご婦人の穏やかな声が僕の中で響いた。
その通りだ、僕は進まなければならない。辺りが前よりも暗くなってきた気がした。夜になれば何も見えなくなるかもしれない。
なぜ便所は臭いのだろう。
***
無意味なことと有意味なことが混濁としながら、僕はご婦人にこの先のことを聞いた。
「あとどのくらいで夜になるのでしょうか?」
「はっきりとは分からないだろうね。いきなり夜になる時もあるし、なかなか夜にならない時もあるからね。でもね、お前さんが七合目に辿り着くころにはしっかりと夜になっちまうだろうね。あそこを見てごらん。さっきまで白かった石場が少し暗みがかってりるだろう? 何はともあれ、七合目に向かうことだね」
「急ごうと思います。七合目は、ここから遠いのでしょうか? 暗くなる前にはどうにか休みたいのですが……」
「歩いてみないことには分からないだろうね。だがね、お前さんが七合目に着くころには夜になるだろうし、夜になれがお前さんは七合目に辿り着くさ」
ご婦人の言っていることがあまり理解できなかった。婦人の言葉には、僕にとって夜がいつ来るかを判断しているかのような含みがあった。まるで夜が自然としての共通的な必然ではなく、個人の事象として起こる独自性を持った観念であるかのように。僕たち一人一人にそれぞれの夜があるかのように……
僕は門番が入り口で言ったことを思い出した。
「小僧の持っているものは、全て無意味になるだろう。ポケットに入れていることすら無駄と思うことになる」
全くその通りだ。
僕はご婦人に向かって深々とお辞儀をし、お礼を言った。
そして七合目へと向かった。
立ち去る前にご婦人は、次のようなことを教えてくれた。
この先の道はさらに険しい、暗闇には注意しなさい、あまり自分と話すのは止したほうが良い、かかしによろしく、など。
かかしによろしく? 案山子ことだろうか? なぜ案山子なのだろうか?
婦人の言っていることは、やはりあまり理解できなかった。
第二十部(完)
二〇二四年六月
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