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別れを恐れて


ショパンの別れの曲を聴くと、必ず涙腺が故障する。

別れの曲という名がつけられているのは日本だけだというが、まさに別れという言葉の中に含まれた様々な感情や情景が、その曲からは感じ取れる気がしている。


別れ。

それは、この世に生きている限り、ずっと付き纏うもの。


特に、思い入れのある人やものとの別れほど辛いことはない。

そのため、どうにかそれが終わらせないように、そしてどうにかそれが長く続くようにと考え、行動することがある。



それは例えば音楽。

好きだという理由で、短い期間で何度も同じ曲を聴いてしまうと、その曲を好きでいる自分との別れが早まる気がしている。

何度も繰り返して聴くことで、好き、という感情がすり減ってしまうような感覚があるのだ。

あんなにも大好きで、毎日何度も聴いていた曲なのに。

何故そんなにも好きだったんだろう。

そう我に帰る瞬間は、私に寂しさをもたらした。


そのため私は、大切な曲ほど、再生回数を極端に減らす。

そして、大事な場面や、どうしようもなく聴きたいと心から願った時だけに、再生するようにしている。

そうすることで、この曲をいつまでも大切に思え、好きでいられるのだろう、と信じて。




それは例えば、物語。

物語といっても、表現方法は多数ある。

本や映画が代表的な例に思う。


気に入った物語にも、必ず終わりのときがくる。

そのため、映画の終盤や、本の最終巻には、敢えて目を通さないことがある。

自分がそれらを見ないことにより、自分の中でその物語はまだ続いているのだと、自らを欺く。

それらの終わりを知らずに自分の人生が先に終われば、それらの物語は、永遠になる。

そんな気がしている。




それは例えば、人間関係。

学生時代を共にし、名前のつけられない関係性を保ち続けた彼。

そのなんとも表しがたい関係性が、夢のように心地よかった、

その関係性の枠をはみ出したときに、名前を持つ関係性の始まりとともに、その名前のつけられない関係性は幕を閉じる。

それがたまらなく怖く、始めることをしない、という選択肢を選んだ。



しかし、自分にも制御できない、唐突の別れもあり、事実としてその数はあまりにも多い。

これらについては、ただただ、その対象を思い浮かべて、涙を零すしかない。

自分の中で、その対象を思い続けることしかできないのだ。

一体、悲しみの果てにあるものは、何なのだろうか。





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