昔、ハイジに会いにスイスを旅した話②
前回のお話はこちら。
ハイジの家に向かう山道。
どう見ても日本人だなというグループとすれ違い、目が合ったので「こんにちは」と挨拶したら、ひどく驚かれました。
背後から「日本人だよね?」「一人で!?」とヒソヒソ話してる声が…。
はい、こんなところに一人で来てますよー。
そして、ついについに!
目の前にハイジの家が!
もう疲れ切り、やっと着いたー!というのと、ついに本物を見たぞー!という感動とで、思わず目が潤んでしまいました。
残念ながら、中を見ることはできませんでしたが、変に観光地化されていなかった分、逆に本物のように感じられました。
ちょっと村に出かけてるから留守だけど、もう少ししたらハイジたち帰ってくるよ、みたいな。
今では、カフェになってるらしいですよ。
あちらこちらで、アニメを思い出させる場所や風景がたくさんあって、胸が高鳴ります。
それもそのはず。
『アルプスの少女ハイジ』の制作のために、1973年の夏、スタッフやプロデューサーら4名で現地を取材されているのです。
実際に目で見て体験し、本物のスイスを描きたかったのでしょうね。
海外でTV放映された時、日本で作られたアニメ作品と気づかずに見ていた方も多いそうですから、それだけリアリティのあるハイジの世界が作り上げられていたということでしょう。
せっかくなので、もうちょっと小屋の上の方まで登って行ってみました。
しばし、リンゴをかじって一休みしながら、絶景を楽しみました。
さらに遠くに大回りして行くハイキングルートもありましたが、もう体力限界の私。
ここで引き返して、下りることに。
地図に「ペーターの家」も載っていましたが、実はどれがそうだったのか、はっきり特定できませんでした。
そもそも地図が大雑把なので、自分の現在地点もよく分からんのですよ。
今となっては記憶も曖昧。
なので、私の中ではアニメのイメージに近いので、勝手にこれがペーターの家ということにしています(笑)
帰りは歩き疲れて、最後はおばあちゃんのように足を引きずりながらヨチヨチ歩き。
結局、マイエンフェルトの駅からアルムの小屋まで3時間もかかりました。(帰りは半分の時間)
こんなにハードとは思わず、普通の靴で来てしまったのも敗因。
まぁ、留学中で登山向けの靴なんて持っていなかったので、仕方ないですが。
駅に30分ほど早く着いたけど、もうこれ以上歩けなかったので、ベンチに座って待つことに。
天気も良く、のどかで心地よいひと時でした。
その後、お疲れの私は電車の乗り換えに失敗し、電話してチャベラに迎えに来てもらうはめに。
つい昨日も、同じ駅まで迎えに来てもらったばかりなのに…。
世話の焼ける泊まり客です…。
家に帰って、靴下を脱いでビックリ。
左足の一部が後半すごく痛かったのですが、なるほど、赤紫のあざのようになっていて、見るからに痛々しい有りさま。
チャベラも、片道3時間の代償を目にして引いてました。
筋肉も強張っていて、明日の筋肉痛はすでに確定です。
夜ごはんはポテト。
マッシュドポテトを焼いたような、なんだか知っている味。
(今思うと、スイスの家庭料理「ロスティ」だったのではないかと思います。)
チャベラの子どもの頃の写真を見せてもらったり、おしゃべりしながら最後の夜を楽しみました。
Day 5
あっという間にラスト・デイ。
この日は、チャベラとチューリッヒをぶらぶら散策。
お昼ごはんは、湖の畔で。
空は青く、ぽかぽかと暖かで。
花が咲き、山もくっきりと見えていて。
大都会でも、こんなにゆったりと時が流れ、くつろいで過ごせるチューリッヒ。
そして、ちょっと郊外に出れば雄大な自然。
こんな素晴らしい国に住んでいる幸運な友達を、羨ましく思いました。
空港まで送ってくれたチャベラ。
彼女が先に帰国のためイギリスを去る時には、思わず泣いてしまったけれど、今回は笑顔でお別れ。
また絶対に会える。いや、会うもんね。
そう思ったから。
〈オマケの話〉
今でも、チャベラとはクリスマスカードをやり取りしています。
私が結婚した時には、ハネムーンとしてスイスに来訪し再会しました。
数年前には、彼女が旦那さんといっしょに日本に遊びに来ました。
まずは渋谷に滞在するというので、ハチ公の前で待ち合わせしたのですが、渋谷の喧騒の中で、チャベラが目の前にいるのが実に摩訶不思議で、ちょっと滑稽な感じがしたのを覚えています。
現在では、「ハイジ村」という観光施設ができていて、ハイジの家やペーターの納屋、ヨハンナ・シュピーリミュージアムなどなど見ることができます。
山登りは辛いという方でも、ハイジの世界を気軽に楽しめそうですよ。
こんな旅もしています。
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