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雑感記録(271)

【あれから10年】


最近、何だか無性に本が読みたくなって仕方がない。その契機は何だったかと考えてみるのだが、一向に分からない。ただ確実に言えることは、先日の記録でも記したがいぬのせなか座の山本浩貴の『新たな距離』を読んだことに触発されてのことなのだと思う。久々に良い本に出会った。教えてくれた友人には感謝しかない。

良い本に出会うと、本を読むモチベーションが高まる。1つの本に触発されて、読書欲みたいなものが溢れかえる。それで僕はここ最近、何だかしっちゃかめっちゃかな読書をしている。例えば、何だか急にフロイトが読みたくなって『精神分析学入門』と『夢分析』を読み始めてみたり。あとは急にチベットの『死者の書』を読み始めてみたり。あとは…と書き出したら恐らくキリは無い訳だ。頭の中はカオスである。だが、これが堪らなく僕にとっては愉しい。

それで、昨日に東浩紀『新対話篇』を読んだ。

僕は過去の記録でも残しているが、やはり対談集を読むのは面白い。何が面白いかというと、話しながらお互いに思考を作り上げて行っているその場を疑似的にも体験できるからである。対談集の1つの良さは、その人の著作を単体で読んでも「???」となってしまう所が、誰かとの対談となるとわりと分かりやすく書かれているのである。例えば、僕はこの本の中では鈴木忠志と中沢新一の対談が凄く好きだ。

正直、鈴木忠志は初めましてで、そもそもどんなことをしている人かすら知らなかった。逆に、そういった部分でよりフラットな気持ちで読めたのかなとも思う訳だが、これが中々に刺激的だった。中沢新一は過去の記録でも書いているが『チベットのモーツァルト』に幾度も挑戦し、幾度も挫折している。だが、この対談集だと「あれ、どこ行った?」ぐらいに非常に分かりやすく話をしている訳だ。とはいえ、1番凄いのは何だかんだでそれに対応している東浩紀なのだが…。

思わず、昨日購入して、昨日で読み切ってしまった。それぐらいには面白かった本だった。そして僕はパソコンのモニターを見る。垂れ流しにしていた『ゴジラvsメカゴジラ』もそろそろエンディングを迎えようとしていた。あともうそろそろでベビーがゴジラと一緒に海に行くんだよな…と思いを馳せながら小便をしにトイレに向かう。


小便を終え、ふとスマホを手に取ると何件かLINEが来ているので見る。

どうやら、高校の同窓会を検討しているので、あらかじめ出欠席を取っておきたいからアンケートに答えてということらしかった。こういうアンケートやら協力してという類のものは早めに対応した方が良い。僕はすぐさまアンケートフォームを開いた。だが、思わず手が止まってしまった。突っ立ったまま、僕はスマホの画面と睨めっこ。モニターを経由したスピーカーからゴジラのエンディングが聞こえる。儚げな曲である。

僕はそもそもこういう「同窓会」と呼ばれるものが苦手である。単純に僕はそもそも友人が少ないので、前提として「会いたい」のハードルが高いのだろうと思う。それに友人が少ない分、満遍なく会えていることは事実なので、わざわざ「同窓会」までに赴いて会う必要もないのかなと思っている。

加えて、1番の行かない理由なんてのはもう決まり切っている。

僕は高校時代は普通に過ごしてきた(と自分では思っている訳だが…)。しかし、この歳になって高校時代を振り返ると僕はただただ、いけ好かない奴だったなと思う。上手い言葉が見当たらないのだが…そうだな…。「害はそこまで無いけどうざい奴」みたいな。そういう学生だったように思う。これを僕は今、10年たった今、「若気の至りでね…アハハハ」と言うことは決して出来ない。それは僕が許さない。僕はプライドが高いのかもしれない。恥ずべき人間である。

だから、僕個人としては高校生活は充実していたのは勿論だし、本当に良い友人たちに恵まれた。だが、これはどこからどう考えても僕の主観でしかない。もしかしたら、僕がそう思っているだけで、相手はどう考えているのか想像することは出来ても、理解することは不可能である。僕が一方的に押し付けている以外の何物でもない訳だ。これはあまりにも傲慢過ぎやしないか。そう思ってしまう。

僕が友人として会っている人は、こういう気持ちを一切誘発させない。単純にそれは僕がここ最近書いている所の、「友達」でなくて「友人」として見てくれているからだと思う。有象無象の中の1つとしてではなく、存在としての1つと見てくれている。そんなような感じがする。だから気兼ねなく、素の自分で居られるのだと思う。ある程度装わなくて良いというのは楽でいい。


だから、高校の「同窓会」になんて行ったら、発狂してしまうだろう。1人勝手に何が何だかよく分からないような罪悪感とか羞恥心みたいなものに圧し潰されてしまうだろう。僕は行かないことにした。

今、高校のと敢えて書いた訳だが、恐らく小中だったら何も考えずに秒で「行かない」を選んでいただろう。いや、「だろう」ではない。確実にそうである。悩む暇すら与えずに、反射神経で選択する。そうじゃないなら、反射神経で選択するようにするだろう。悩む方が馬鹿馬鹿しい。

僕はパッパとアンケートに答え、タバコを蒸かす。

こうして1人の部屋で、ただ黙々と本を読み続ける生活も悪くはないんじゃないかと思い始めて来た。そうして天井に上ってゆく煙を眺めて、「ああ、次は何を読もうかな」と考え始めていた。そうして寂しさに1人、ただどことなく沈黙し、狂乱の渦に巻き込まれる。

よしなに。



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