見出し画像

雑感記録(147)

【東京では空が見えないと思っていた】


先日から神保町で古本祭りが開催されている。僕の職場は神保町にあるので昼休みと仕事帰りの時間を利用し沢山の本を購入した。明日は大学の友人と古本祭りに行く。僕は待ちきれなくてフライングで1人で先に行ってしまい、実は少し心苦しい気持ちだ。申し訳なさがある。

しかしだ、やはりこういう自身が好きなことに関するイベントは愉しい。実は古本祭りが待ちきれなくて開催日の前日に何故か本を爆買いしてしまった。それも割とお値段が高めの本たち。まあ、自分が元々読みたかった本ということもあるが、それ以上にその愉しさが僕を誘発して購入させたということは紛れもない事実である。

職場の人たちもかなり寛容で、古本祭りの初日に「今日、古本祭りだからね!定時になったらすぐに帰りなね!」と仰ってくれて、お陰で古本祭り初日はお昼休みの1時間と、帰り古本祭りが終るまでの間じっくりと本を見て過ごした。

実は昼休みに購入した本は冊数も多く、かなり厚い本が多いので持って帰ることが厳しい状況であった。職場の人とそんな話をしていたら「デスクに置いて帰りなよ。もうデスクをセルフ図書館みたいにしちゃいなよ。」と仰ってくれたので、僕のデスクに購入した6冊は置いてきた。そのお陰で僕の席の近くを通る度に「これ今日買って来たんですか?」とか「何読んでるんですか?」と社内のあまり関りが無い人ともコミュニケーションが取ることが出来た。何と言うか本で繋がれるということは僕にとっては嬉しい。それが些細なことであってもだ。


購入した本を順を追って読んでいる状況なのだが、吉増剛造の詩集とエッセー、講演録に心打たれてしまい最近は(と言っても本当にここ数日なのだが)どこへ行くにも吉増剛造を持ち歩くようにしている。今は『火ノ刺繍』が面白くて読み進めているのだけれども、これがかなり重い。厚さ7,8センチはあろうかという本をどこへ行くにも抱えていくのだから、そりゃ重い。当たり前っちゃ当たり前だ。

この『火ノ刺繍』は所謂講演録であったりエッセーが収められている。2008年から2017年までの作品が収められている。そりゃ厚さも出るわと納得。しかし、ここに書かれている文章の美しさというか荘厳さたるや!これは僕自身今まで経験したことないような言語体験であったことは言うまでも無いだろう。

吉増剛造を読もうと思ったのは僕が詩に興味を持ち始めてからのことだから、大学3年生ぐらいの時だったと思う。確か、何かの授業で「詩を読むこと」みたいなのをやったのがキッカケだった。それこそ保坂和志だったかな?小説の朗読会みたいなのをやっていて、その映像をYouTubeかなんかで見た。その時に吉増剛造の朗読も一緒に見たのだ。その時の映像は鮮明に覚えている。

その時にまず以て感じたのが、今まで本を読むというと所謂「黙読」が基本である訳なのだが、そういった部分を作家本人がその姿勢を問いただすというところに感銘を受けた。眼で読み、自分の言葉で耳にして二重構造での読みというのが僕には新鮮だった。それに、朗読を行なう吉増剛造の覇気に気圧されてしまった。表現が1つではないということを改めて認識することが出来た。

その日から僕は詩集はなるべく声に出して読むようにしている。吉岡実も声に出して読むし、鮎川信夫だって声に出して読むし、佐藤春夫だって…。いずれにしろ僕は詩はなるべく朗読するように心掛けている。実際に朗読して見ると結構面白くて発見が色々とある。何と言うのか、眼で追っているだけでは見えない詩の様相というのが見えてくる?聞こえてくる?自身の内側から何かが沸き上がる感覚がある。

朗読すると「ああ、ここの語感が良いな」とか「ちゃっかりこの2連で韻踏んでるじゃん」とかそういったことに気づくことができる。これは眼で追っているだけでは決して気づけない所だと僕は思う。そしてその連続する言葉が誘発する何か、それは実体を持ったような何かではなくて雲みたくフワフワしている何かが現出していることが分かる。


それで吉増剛造もご多聞に洩れず、朗読してみたのだが正直「???」の連続。これは文字面を追っているだけでは分からない。いや、声に出して読んでも分からない。ただその「分からなさ」の心地よさとでも言うのだろうか、そういう詩が多い印象だった。快感の「分からなさ」とでも表現しておくことにしよう。

道路を抱いて寝る。
当然夢のように垂直に吹きあげるのだ。黄金の胴体だ、城だ、脳髄の言語は既に金属質の霊山を完成した。
馬車は一千年前に横転したと語りつたえられる。速度は完成した、あとはほろびるのみ。道路を抱いて寝る、男の凄絶華麗な夢は、もとより性に関連し、部屋から抜け出る一条の煙りだ。なんという荒々しい夢だ。このカメラは宇宙に飛びだした竹が変身して、写真機は数億地上に降霊した、最高玩具であった。
さらば都!さらばみやこ!
道路を抱いて寝る、男の夢は、墓銘に「剣客」と刻まれることであったのだ。
道路を抱いて寝る、官軍であろうが、賊軍であろうが、落武者の落ちゆく先は竹の林と決定している。雪という名の竹林だ。雪の里、夢のみやこ。
これがこの男の首都である。言葉をのりつぶしてしまえば、もう希望、夢の猛烈なのだけが残り、映ずるもの一切廃墟である。大海が映じ、つづいて廃墟が映ずる。アメリカ風が吹きぬけ、トーキョー、風が吹きぬけ、長安の街路に風吹きぬけ天王星、風が吹きぬけ、恋人はじつに美しい。この不動の月を夢中にさせん!

吉増剛造「都市反歌」『王國』(河出書房新社1973年)
P.8,9より引用

これは『王國』の最初の詩、「都市反歌」である。最初の出だしから僕は結構喰らってしまった。「道路を抱いて寝る」このフレーズを声に出して読み、僕は自身の過去のとある情景を思い出す。

中学生の頃、僕は小学校からの友人数人と同じ塾に通っていた。同じ授業を受けていたので帰り時間は皆一緒で、夜な夜な自転車を乗り回して帰宅していた。終わる時間は22:00ぐらいだった気がする。中学生の頃から割と遅い時間まで勉強していた。

中学生の頃は所謂「中二病」の真っただ中で、どこか悪い行ないをすることがカッコいいみたいな感覚があった。だから中学の時は部活の大会があるごとに僕は裏で結構他校の子ともめたり、喧嘩したりもした。大会の度に青いあざをつけて帰るので親には心配されたものだが、これも1つの勲章かなんかだと思っていた。今となれば随分恥ずかしい話だ。

それで友人たちと夜、自転車で自宅に向かっていたのだが、悪いことをしたいという中学生ながらの欲?みたいなものがあって、皆で画策しながら色々と試してみたりした。そのうちの1つに「夜中の道路のど真ん中で眠る」というチャレンジが一時期そのグループ内で流行った。車を運転する身となった今では憤慨ものだが、当時はこれが愉しくてたまらなかった。

やることは本当に単純。大きな道路の真ん中に2人で行って寝転ぶ。ただそれだけ。車が来たら歩道に逃げる。そしたら交代して他の2人が同じことをやる。寝転ばない奴らは寝ている奴らに対して車が来そうなことを伝える。そういった遊びに一時期狂ったようにハマっていた。この時の光景で凄く覚えていることがある。


それは真冬も真冬。1月中旬頃のことだ。塾では定期的に土日かなんかで模試みたいなのを受けさせられる。高校受験を見越してのことだ。塾が独自に問題をこしらえてそれをただ解く。中学生当時の僕等からすれば、「なんで土日の貴重な時間でそんなことせにゃならんのだ?」という気持ちがあった。そう思うならサボればいいじゃん?その方がカッコいいじゃん?ってなるのだけれども、何故か模試は毎回律儀に受けに行っていた。

その模試が終った週明け水曜日の日のことだ。授業で模試の復習と題して、土曜日に実施した模試の解きなおしと自己採点を行なった。その模試は僕の中で「結構できたな」という自信が実はあった。苦手な数学の問題もスラスラできたし、英語も文法バッチリ解けたという感覚があったのだ。しかし、それはあくまで自分の感覚だ。自己採点して僕はげんなりする。全然できてないじゃん…。

授業もまともに聞く事すら出来ず、ただぼんやりと授業をやり過ごした。授業後、いつも一緒に帰る友人たちに「帰ろう」といって自転車置き場へ向かう。そして「なあ、今日もやらん?」って声掛けして「やろう」と返答が来たのでいつもの道路へと向かう。その道中、僕は複雑な気持ちだった。

道路について皆でとりあえず順番決めをして2人ずつ交代で道路に寝転がることに決めた。最初僕は待ちだったので、一緒に待っている友人と話をした。「そういえばさ、模試どうだった?」「おれ?結構良かったよ。前よりかなり点数上がってたからさ…。お前は?」僕は言葉に窮する。それを察してか「まあ地頭は良いんだからどうにでもなるだろ」と何とも心苦しいフォローをされた。それはそれで有難いのだが…複雑な気持ちだ。

道路を見ると2人は静かに空を眺める。車は1台も通らない。しかし明るい。街灯が近くにあるからかもしれない。それにすぐそばにはデニーズがあるから人も居るっちゃ居る。それなのに車は1台も通らない。これは都会ではあり得ない光景だと今になっては思う。これが良さかどうかは置いておくとしても。遠くからライトがゆっくり近づいてくる。「車来るぞー」と声を掛け寝ていた奴らはすぐさま起き上がりこちらの歩道へと戻って来る。

戻ってきて早々、「いや、今日はやべえよ」と声を漏らす。「何がやばかった?」と聞くと「いや、お前も寝転べば分かる」と言われた。僕はすぐさま道路の真ん中へ踊りだし寝転ぶ。そして上を見上げて言葉を失った。

いつもはただ車が来る来ないのスリルを味わうことが主眼に置かれていて、空なんて真面目に眺めたこと無かった。そこには空がただ在って、そこには星が散りばめられていて…。通り一辺倒の解釈だけで終わっていた。あとは車に轢かれないように細心の注意を払って…みたいなところに気が行きがちでまじまじと見つめることなんてしなかった。

しかし、その日の空は何だか違った。空気が乾燥していて綺麗に見えるということも勿論あったのだろうが、美しかった。ずっとここで寝転んでいたいと感じたのはこれが初めてだった。隣に寝転ぶ友人を横目に見る。彼は大きなため息を漏らしてポツリと「綺麗だ」と呟いた。僕は返答しなかったが、其の通りだと思いながら空を眺め続ける。

「車来るぞー」という掛け声。僕等はすぐさま起き上がり歩道へ戻る。「綺麗だったろ」と言われたが僕は無視した。空の余韻に浸りたかった。そしてしばらく歩道で休み「なあ、今日はもう解散しようぜ」とだけ言い残して、僕は1人自転車で自宅へと帰って行った。


僕は「都市反歌」の最初の部分「道路を抱いて寝る」という言葉に触発され思い出した。僕は未だにあの時に見た空を超えるような美しさの空に出会えたことがない。言い過ぎかもしれないが、僕にとってはそうなのだ。もしかしたらその状況というものも大きく影響してくるのだろうが、道路に寝転がるなんてそう簡単に出来るものではない。

最近、ハナレグミを聞くのが僕のブームだ。職場から帰る時にこの『家族の風景』を聞く。この間、職場で買い物を頼まれたので神保町から新宿まで行かねばならなかった。電車に乗って行こうとも思ったが、歩いて新宿のヨドバシカメラまで歩いて向かった。

地元ではあり得ない高さの建物、人ごみに晒されながら街を闊歩する。曙橋あたりに来た時、ふと空を見上げる。この曲と共に眺めたその空はお世辞にも綺麗とは思えなかったが、それでも何か感じるところがあった。都会にも空はあった。

東京に居るとそこかしこに高い建物があり、空を遮断してしまうことが多いと感じていた。星なんて見える訳ないだろうと思っていた。しかし、よくよく目を凝らして見ると都会でも星は見える。「東京では空が見えない」と思っていたがそれは嘘だった。東京でもそれなりに綺麗な空は見える。

僕は自身が住んでいるアパートから見える空が好きになりつつある。遠くを見渡しても高く明るいビルが何棟もそびえ立っているが、何故か空はよく見える。自身が3階に住んでいるということもあって、ある一定の高さから上を見上げているのだからそれは当然かと思いつつも、それでも綺麗と思ってしまった。


東京では空が見えないと思っていた。

でも、それは心の持ちようかもしれない。

見上げてみよう。

よしなに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?