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留学と共にベジタリアンになって3ヶ月。日本社会について考える。
今日はメーデー(労働の日)祝日。
友だちの家で寿司パーティーをした。
寿司パーティーといっても、そこに魚は存在しない。
マンゴー、アボカド、きゅうり、にんじん、ネギ、豆腐、卵。
醤油とクリームチーズをつけて食べる。
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友だちの家で3人で料理した。
1人はヴィーガン(卵抜き)。私ともう1人はベジタリアン。
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この数ヶ月で肉・魚を食べない生活があまりに当たり前になり、記事を書こうと思してたのすら忘れてた。
今日、料理をしながら日本での食生活の話題になり、「そういえば私の食生活めちゃめちゃ変わったな」って気づいたから、また忘れてしまう前に残しておこうと思う。
ベジタリアンになったきっかけ
まず、日本での私の食生活は、基本的に鶏胸肉が主食。
豚肉も、牛肉も、食べる。魚も、海鮮類も。
最後に食べた日本食は、チャーシューの乗ったラーメンだった。
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しかし、スイスに来て、肉・魚があまりに高すぎて買う気にならなかった。
始まりは、そんなもん。ほんまに単純。
やけど、周りのベジタリアン・ヴィーガンの友だちの話聞いたり、大学の提供するヴィーガン料理教室に参加したりするうちに、環境保全の観点、動物福祉の観点、自分の健康のため、様々な理由から、とりあえずスイスにいるこの1年ベジタリアン生活を続けようと決めた。
友だちの家で出してもらったり、訪れた国の伝統料理(ベルギー)だったりで今まで数回口にしたけど、自分では基本買っていない、食べてない。
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講義の後みんなで料理した
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デザートはココナッツミルク、キッシュは植物由来のチーズで乳不使用。
毎日の食事
最初は、今まで鶏胸肉で摂取していたタンパク質をどうやって保てばいいのか、すごく不安だった。だけど、ベジタリアン、始めてみたら、案外いける。
豆、プロテイン、ギリシャヨーグルト、豆腐、卵、チーズ、植物由来のベジミート。。。
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スイスには、いくらでも代替品が溢れてるし、なんなら肉・魚を見つけるより随分簡単で安く済む。そして、めっちゃ美味しい。
スーパーではもちろんのこと、外食でもヴィーガン・ベジタリアン専門のレストランが街にいっぱいある。そうでなくても、ヴィーガン・ベジタリアンのメニューが必ずある。
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そしてもう一つ驚きだったのが大学の食堂。
ビュッフェ式なんだけど、基本ベジタリアン。(肉・魚・海鮮は一切なし)
もし肉や魚が食べたければ、追加で2フラン(日本円で350円くらい)払わないといけない。正直、周りで追加料金払ってまで肉を食べている子はあまりいない。
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高いからご褒美的に特別な日にしか行かないけど。
なんなら、将来、大学完全ベジタリアン移行案が出ているらしい。(噂)
肉・魚を大学として買わない、調理しない方針らしい。
日本では、まだ考えられない。
食堂から肉と魚が消えたら?
ダシ(魚)が使えなくなったら?うどんも消える?
なぜ日本人はベジタリアンにならないのか
今までの私は、日本でのベジタリアンについて聞かれた時、「日本食は基本ダシが入ってて、魚って書いてなくても魚のエキスが含まれてることが多々ある。外食でもベジタリアンメニューが無いお店が未だにたくさんある。」で終わってた。
そして今日、友だちに「じゃあ日本人の友だちはベジタリアンになぜならないの?どう思っているの?」と聞かれて、何も答えられないことに気がついた。
私が今まで説明していたことは、ただの事実であり、「日本人はベジタリアンにならない」という勝手な前提を持っていた。なぜなのか?
なぜ、世界でこんなにもヴィーガン・ベジタリアン傾向が強まる中、日本はこんなにも無関心・不寛容なのか?
【今までの単純な思想】
肉・魚が安い→お店でも、家庭でも、高いお金を払ってまでベジタリアンになるほどのモチベーションがない。
じゃあ肉・魚が高くなったらみんな食べるのをやめるか?
うーん。。。そんな簡単にはいかんよな。。。
私が今までに考えた仮説:
【倫理的観点】
・魚:市場で目の前で魚を捌いたり、生の魚を寿司・刺身として食べる習慣
→魚介類を殺すことが悪いという感覚が存在しない
・肉:魚とは対称に屠殺・解体を見る機会が一切ない
→肉はパックに入った“食材”でしかなく、殺す想像がつかない
→こちらで見かける肉はもっと“塊”で、血が残ってたり家庭でもっと“捌く”必要がある
→畜産農家がもっと身近で、鶏・牛・豚・ヤギ・羊、、生きた動物を見る機会が格段に多い
→肉を食べることが“動物”を殺すことに感覚的に直結する
【歴史的観点】
人間は自然の一部であるという里山思想(国語の授業でめっちゃ好きだったやつ)からの、自然の恩恵を受けて人間が存在するという考え。人間も動物やねんから、同じ動物の魚や肉を食べた上で生態系が存在する、みたいな。(しかし問題は、肉を食べるという行為自体ではなく、急増した人類を養うために「人工的に生産された不自然な食用動物」だということ)
これは日本人の環境保護の意識・認識の低さ、というよりも、西洋の自然を対象物として捉え、「我々人間が」「自然を」守らねば、という切り離しの意識の強さを感じる。菜食主義の正義感。
私自身「自然を」守らねば、には違和感を覚えることがある。「我々が生存するための自然環境を」ではないのか?地球は、今では考えられないような過激な気候を過去に山ほど経験してきた。我々人類が自然に大きな影響を与えていることは確かだが、「地球を」「人類が」守らなくとも、そう簡単にこの「地球」が終わることはない。少なくとも我々の想像しうる期限内で。
【食文化】
これがまず、私がいつも最初にする説明。
日本食と肉・魚、特に魚は切っても切り離せない関係がある。
いくらベジタリアン寿司が美味しいと言っても、それが「日本食か」と聞かれたら、誰もYesとは言わないだろう。しかし肉が伝統料理で主食であったドイツでも、かなりベジタリアン志向が進んでいるのは興味深い。
うまく言葉にできないけど、「日本食へのこだわり」は、ただの国民感情ではなく、国としての観光産業保全にも繋がる。日本食を守ることは、日本という国を守ることでもある。
私はいつも、これを理由に「日本人はベジタリアンになれない」と豪語していた。
しかし本当にそうなのか?
「なれない」んじゃなくて、「なろうとしてない」んじゃないか?
そして、そもそもの「考える機会の少なさ」がベジタリアン・ヴィーガンへの関心の低さの根底にあるのではないか、という決断に至った。
一見なんのことかわからないかもしれないが、日本の大学の食堂で、社会問題について議論している日本人学生、少なくとも私は見たことない。
【考える機会の少なさ】
①そもそも、日頃目にする情報が限られている
これは、情報規制されている国での「手に入る情報の制限」とは全く異なる。能動的になれば簡単に届くものの、わざわざ自ら情報を取りには行かないことによる。
この仮説の根底には、多くの情報・議論が英語で発信されている中、日本で英語を日常的に使わないことがあると思う。英語→教育の問題にも繋がるのか?
また、情報という観点では、(言い方は良くないが)こちらのベジタリアン・ヴィーガンは一種の“流行”であるようにも感じる。メディア(SNS、広告)の力も大きい。
友だちの中には、特に理由なく「周りがベジタリアンだから」とか、「逆に、肉食べてるって言いづらくない?」って子にも出会った。ただ科学的・倫理的理由からってよりも、政治的・経済的に動かされてる感も感じる。上手く表現できないけど。
②社会問題が自分の身近にあり、自分が「変えられるもの」という効力感の低さ
これは国外の問題に限らず、日本国内の政治・経済への関心の低さにも繋がっていると思う。
まずは、地域・コミュニティレベルでの「効力感」「自分なら変えられる」という意識が生まれれば、自然と国、国際レベルに昇華していくように思う。
これは、小中高の論理性に欠ける校則、社会の「前例に則り」文化から、日本という国全体に①「どうせ変わらない」無力感、②リベラルであることへの「周りの目」の二つが大きいように感じる。
このままでいいのか
現実的に、今、日本に住んでいたとしたら「今日から肉・魚一切食べない」は非常に困難だと思う。し、私も、日本に帰国してからも完全にベジタリアンでい続ける自信はまだ正直ない。
しかし、「なぜ私はベジタリアンにならないのか?」と、当たり前だと思っていたことに疑問を持つこと。それがそもそもの「考えるきっかけ」を与える。
ただ「知らない」「私には無理」と逃避し続けても生きてはいけるが、この(今のところ)唯一無二のハビタブル惑星に住む地球市民として、世界的な問題に目を向ける方が、良くないか?(最後の最後に良い言葉思いつかんかった😅)
問1)
なぜ、日本ではベジタリアン・ヴィーガンがヨーロッパに比べて“流行ってない“と思いますか?
問2)
なぜ、あなたはベジタリアンにならないですか?
ぜひ、意見を聞かせてほしい。
【参考】
私がベジタリアンになった理由:
・経済的にベジタリアンの方が安く済む。
・鶏胸肉無しでも高タンパク・低脂質の食事が可能だと気がついた。
・今のところ競技に支障無し、ハードなトレーニング後の回復も問題ない。
・美味しいベジタリアン食材が簡単に手に入る。
・周りにベジタリアンの友だちが非常に多い。
・エコロジー等、こちらでの履修科目による環境問題への意識の高まり
※日常的に劣悪環境で生産された安い肉を毎日大量消費することと、特別な時(?)に伝統的料理・そこで生産された経路のわかる動物の命をいただくこと、を区別するような意識が自分の中にはある。これもうまく表現できないんだけど。
⚠️決して「ベジタリアンになれ」とか、「ベジタリアンの方がいい」という主張がしたいのではなく、私がスイスで初めて得た視点で、考えたことを残しています。
あくまでも、人は人、自分は自分。それが第一。
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