満天の星の下で 第9話【小説】

2022年10月15日

 「あれから1カ月か。今日は1人で向かうのか。」気が進むような進まないような気持ちで先月と同じ道のりを辿っていく。この前と違って今日は昼前である。優希子からラインがあり、会うことになった。彼女は夜に飲み屋で会いたがっていたが、ランチに変えてもらった。妻にも優希子と会うことは伝えてある。少し心配しているようだった。
「この前会ったばかりだし、恵一に聞いても何か進展があったわけでもなさそうだし、どうしたものか。」そう思いつつも結局行くことにした。行楽日和の秋晴れの日だった。
「山登りでもしたいなあ。」天気だけでなく、ごちゃごちゃした頭をすっきりさせたい思いの方が強かったかもしれない。目的地に着いた。先月と変わらぬ駅の景色である。優希子からラインが来ていた。10分ほど遅れるようだ。スマホをいじって時間をつぶせば良いのだが、何となく駅ビルを散策したい気持ちが勝ったため、ふらつく。ぐるっと1周歩くと丁度良い時間になったため、改札前に戻る。程なくして優希子がやって来た。今日はこの前よりはラフな服装である。小走りに駆け寄ってきた。
「ごめんごめん。」手を合わせて、謝ってくる。
「いいよいいよ。駅ビル散策できたから。」
「店のラインナップも結構変わるもんね。何か買ったの。」
「いいや、見てただけ。欲しいものはなかったかな。」
「ふーん。お店どこにしようか。」ランチだから決めていなかった。
「ラインで送ってくれたイタリアンは?」
「あそこ昼でも混んでると思うよ。」
「良いんじゃない。昼だし、少し待つぐらいは。」
「オーケー。じゃあ行きますか。」
 その店は駅から繁華街とは逆方向に歩いた先にある。地元では評判の良い店だった。2組待ちだったから待つことにしたが、すぐに呼ばれた。
ゆっくりとメニューを見て、注文をする。どれも美味しそうで迷う。
「それで、恵一とはラインした?」水を飲んで、一息ついたところで聞いた。
「うん。この前のお礼と野球の話をちょっとね。彼詳しいね。」スマホを見ながら答えてくる。
「ふーん。で、付き合うとかそういうのはどう。アリ?ナシ?」単刀直入にいく。
「うーん…」悩んでいる様子だが、答えは決まっているようで言葉を選んでいるようだった。
「友達って感じかな。良い人なんだけど、そういう雰囲気にはならなそうかなって。」精一杯こちらに気を遣っているようで悪い気がしたため、
「いいのいいの。無しなら無しで。そんなに気にしなくても。」と言葉を中途で遮り、明るく振舞う。
「でもまあ、あの日はそれなりに楽しかったでしょ。それだけでも良いでしょ。」と言葉を続ける。
「そうね。色々と話せて楽しかった。それにあなたの高校での話なんかも聞けたから。」笑顔に変わった。彼女はやはりこの表情が似合う。
「何それ。俺がトイレ行っている間にそんなことも話してたのか。」
「そうだよ。色々と聞いちゃったもんね。」お互い明るい雰囲気になったところで料理が運ばれてきた。
「美味しそう。冷める前に食べよっか。俺は初めて来たけど優希子は何回かあるの。」
「ランチは初めてかな。夜は3回ぐらい来てるけど。」
評判通り美味しかった。これはまた来たいなと思った。
食事中はこの前の飲み会の話題からは離れ、他愛もない話に終始した。残念なようなホッとしたような気持ちで天を仰いだが、見えたのはオシャレな照明器具だった。

「さて、食べ終えたしそろそろ出ますか。」おしぼりで口を拭いてから言った。
「そうだね。待っている人もいるし。」
「まだ早いし、喫茶店でも行くかい。それとも今日はこれで解散する?」
「…駅の方へ戻りながら考えよ。いっぱい食べたから少し歩きたい。」
店を出て、来た道を戻って行く。
「食べ過ぎて、喫茶店も行けないわ。」お腹をさすりながら彼女が笑う。本当に良い天気だ。
「じゃあ解散する?」
「うーん。もう少し話したいかな。」彼女にしては言葉の歯切れが悪い。
駅前の繁華街に戻ってきた。
「この辺もお店の入れ替わり激しいね。」通りを眺めながら言う。
「そうだね。でも次々変わるのも飽きなくていいよ。」
「あまり実家に帰らないから来る度に変わるね。」
「近いんだから頻繁に帰ってくればいいのに。」
「近いと逆に帰らなくなっちゃうのかも。」
繁華街の通りを店を眺めながら歩く。通りの終点まで来てしまった。
「まだ歩く?」
「そうだ。ボーリングしない?もう少し歩けばあるじゃん。」
「あそこ潰れてなかったんだ。」
繫華街を抜けた先、国道沿いに昔からある店だ。
「失礼ね。まだあるわよ。」
「満腹なのに大丈夫かよ。」
「落ち着いてきたし、久しぶりにやってみたくなった。」
「自由だな。」
「嫌なの?」
「別にいいよ。そう言われると俺もやりたくなってきた。」
「でしょ。じゃあ行こう。」
ボーリング場なんていつ以来だろうか。古い設備は昔来たときのままだ。確かに学生のグループや本格的な格好のお年寄りに小さい子供を連れた家族連れ、色々なお客さんで賑わっている。
受付を済ませ、レーンに向かう。
2人の名前の表示された画面を見ると可笑しくなった。
「俺たち何してんだろうね。もう30歳も近い男女2人で。」
「何歳でも良いじゃない。やりたいときにやりたいことやれば。今私はそういう気分なの。」こういうところが彼女の良いとこなんだろうな。しみじみと思った。
やってみると不思議と熱中できて、2ゲーム終わっていた。靴とボールを片付け、缶ジュースを買ってベンチに座る。
「やってみると楽しかったわ。」
「でしょ。私より夢中になってたじゃない。」ボールがピンに当たる音が響く中、会話を続ける。傍から見たら我々はどう見えるのだろうか。冷たいコーラが冷静な頭に引き戻す。缶が空になったところで立ち上がり、
「さて、帰りますか。」まだ14時半だったが、心身ともに満足した感じだったのでそう言った。
「喫茶店行かないの?」
「もう十分話したじゃない。」
「まだまだ聞いてほしい仕事の愚痴があるのよ。それとも早く帰らなきゃいけないの?」
「いいや、19時半ぐらいまでに帰れればいいかな。あまり遅くならなければ大丈夫。」
「なら、付き合ってよ。駅前に戻ってコーヒーでも飲みながらさ。」彼女がここまで食い下がるのは珍しい。
「何か相談したい深刻な悩みでもあるのか。」とやっとそこまで思考が至り、
「オーケー。じゃあ甘いものでも食べながらね。」
「…うん。」承諾したのだが、返事の歯切れが悪いし俯いている。
とりあえず駅の方へ向かい、歩き出した。あまり会話が弾まなかった。繁華街まで戻ってきたもののどの店も空いていない。いや、正確には空いている店もあるのだが店内がうるさすぎてお互いここは嫌かなとなった。
「どうするか。待ってもなかなか空かないだろうし。ファミレスとかにする。」
「うーん…」どうもさっきからこんな感じが続く。喫茶店を探している時もうわの空であった。視線を落とすと、彼女の小さく可憐な手が目に入る。いつか見た夢が脳を電流のように一瞬にして通り抜けた。正確に言えば脳では無かったかもしれない。
「まさか。そんなはずは無い。いや、しかし…」と何度も反芻してから、小声で訊いた。震えていた。
「…行く?」
上目遣いでこちらの表情を伺い、小さく頷き声にならない声で
「うん。」と言った。私は心のどこかで望んでいたのかもしれないが、今この場に至っては逃げ出したい気持ちの方が大きかった。
「何故だ。」心そして頭に呼びかけるが返事は無い。繫華街の先に彼女が行きたがった理由も合点が行った。
「つまりはそういうことだったのか。」しかし、求められたところで急に白けていく。理由がわからない。再び歩いて戻る訳にもいかないが、歩きたかった。そのうちに彼女の心が変わることを願った。しかし、口から出た言葉は意に反して、
「歩いて戻るのもあんまりだから、タクシー乗るか。」だった。無言で駅前のタクシー乗り場に向かう。
「今からでもいい。翻意してくれ。」頭はそう願ったが、叶わなかった。足は普通に動いてしまった。
乗車して、行き先を告げる。車はほんの数分で着いてしまった。
「満室ならまだ…。」などと思った。我ながら馬鹿らしい希望に縋るものだと感じつつ、願った。支払いをして降りたところでやっと彼女の方を見ることができた。自分のことに精一杯で振り返る余裕が無かったのだ。
「良いの?」入口まで来て何を今更と思いつつも訊いた。
「うん、あなたこそ。」答えなかった。いや、答えられなかった。

 薄暗い無人のフロントを通り抜け、エレベーターに乗る。中学生の頃、地元にもこんな場所があると、思春期特有の好奇心で友達と面白がっていたその場所に自分が入るとは。しかもこんな立場で。部屋番号を確認して中に入る。不思議と自暴自棄にはならなかった。
時計を確認する。時刻は15時を少し過ぎたところだった。大きなため息を吐き、かばんを適当な場所に置く。沈黙が流れる。いつまでもこうしている訳にはいかず、
「シャワー先に浴びる?」と尋ねてみる。頷く彼女の方を見て、
「まさか優希子とこうなるとはね。」笑ってみたが乾いている。ちゃんと話したい、その思いからか
「俺も一緒に風呂入っていい?」と言うと、
「恥ずかしいけどいいよ。」小さな声で答える彼女のその見たことのないしおらしい姿態に私の中で何かが燃え始めた音がした。
一糸纏わぬ姿になった2人は心までも裸になったような思いがした。
「いつから?」小さく言ったつもりが浴室に反響して大きく聞こえた。
「わからない。」最早ここまで来てしまっては言葉は無粋であった。
「先に上がるね。」
「ああ。」彼女の後ろ姿を見送り、天を仰いだ。身体は正直だった。1人になったバスタブは異様に広く感じた。
清めた体でベッドに向かう。優希子は横になりスマホをいじっていたが、私に気付いてサイドテーブルに置いた。自分のスマホを確認しようかと思ったが、止めた。腰を掛け、ペットボトルの水を飲む。スリッパを脱いでベッドに潜り込む。彼女を抱き寄せ、その髪に触れる。近いようで遠い最後の一歩を埋めてしまった。あまりにもあっけなかった。しかし、夢では無かった。それからはもう夢中で、狂ったように貪った。心の奥の炎が燃え盛るその熱をただただ彼女の小さな身体、そして心にぶつけた。彼女もまた私を求め、その熱をぶつけてきた。お互いの炎が一つとなり、より激しく燃え盛る。動物的で本能的なその行為は何もかもを忘れさせた。汗をかくのも喉が渇くのも気にならなかった。ただただその体力が尽きるまで貪り、衝突を繰り返した。心を内側から焦がしてきた火が遂に外に出てしまった。

 それからその日どうしたのか全く覚えていない。駅までタクシーに乗ったのか歩いたのか。家に着いてから妻と何を話したのか。夕飯は何を食べたのか。何時に寝たのか。しかし、卑怯にもこの期に及んで夢であればとか、妻は勘づいただろうかなどと考えた自分の浅ましさは記憶にある。そして、ホテルを出てから家に着くまでの太陽の眩しさは忘れることが出来なかった。

その日を境に優希子とラインで連絡を取り合うこともなくなり、会うことも無くなった。実家に帰ったときにばったり会うことも無かった。それは私が実家へ帰る道を変えたからかもしれない。繁華街を抜ける道を選び、少し遠回りするようになった。そうあの日彼女と歩いた道を辿るようになっていた。

第1話:https://note.com/light_cobra3799/n/naec0982af1e4
第2話:https://note.com/light_cobra3799/n/n3f50839382ca
第3話:https://note.com/light_cobra3799/n/n7f017105f79c
第4話:https://note.com/light_cobra3799/n/n9496262580d0
第5話:https://note.com/light_cobra3799/n/n2df3248b6a3f
第6話:https://note.com/light_cobra3799/n/nbee7ecba7d4a
第7話:https://note.com/light_cobra3799/n/n845430e9ef1d
第8話:https://note.com/light_cobra3799/n/nb3b5937754d2
第9話:現在地
第10話:https://note.com/light_cobra3799/n/n085176c49803
第11話:https://note.com/light_cobra3799/n/na4cd46a10e51
最終話:https://note.com/light_cobra3799/n/n268a2ef79919

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