満天の星の下で 第8話【小説】

2022年9月3日


 私の平日はいつも同じ時刻の電車に乗り、会社へ向かう。勤務中は目の前の仕事に集中し、終われば帰る。時間に余裕があれば途中でジムに寄って汗を流す。帰宅して、風呂掃除と夕食の準備。妻が先に帰っていれば、分担する。食器を洗って、風呂に入り、寝る。いつも通りだ。そしてまた朝、出勤する。同じ時間の電車で。平凡だが満ち足りた日が続いてきたが今日は少し違う。
土曜日である。

「じゃあ行ってくるよ。」妻に言う。
「いってらっしゃい。頑張って来てね。」
「俺が頑張ってどうこうなることじゃないけど。」靴紐を結びながら答える。
「確かに2人の問題だからね。でも、お膳立てした責任はあるんだからきちんとやってくるのよ、キューピッドさん。」立ち上がり、妻の方を向くと、にやけている。
「責任か。」その単語が妙に引っ掛かる。
「奈穂は明日何か予定あるんだっけ。」頭に残るその言葉を打ち消すように話題を転じる。
「買いたいものがあるから車出して欲しいかな。でも、急ぎじゃないからいつでもいいよ。」
「わかった。それじゃ。」
「うん。気をつけてね。」

 西に沈みゆく太陽の眩しさを忌々しく思いながら駅へ向かい歩き出す。
2年前、私は奈穂と結婚した。2年と少し、よりを戻す前の付き合っていた期間を含めれば交際期間3年で結ばれた。平均的と言えるだろう。去年の秋に結婚式も行った。こんなにも祝福されるものなのかと驚いた。周りの友人たちも続々と既婚者になっていて、良いタイミングだっただろう。
結婚生活は予想通り、穏やかに波乱もなく続いていた。子供はまだできていないが、週末は一緒に出掛けることも多く泊まりがけの旅行にも行く。落ち着いていて幸せだった。傍から見ても幸福な家庭に映るだろう。

 電車を待ちながら、スマホで乗換案内を確認する。待ち合わせの時間より少し早く着くように考えていたから予定通りだ。
冗談のつもりで言ったのだが、まさかこんなにとんとん拍子で今日を迎えることになるとは自分が一番驚いた。
 1カ月前の8月、私は高校の野球部のチームメイトであり仲の良い友達である恵一と泊まりで夏山登山に出掛けた。毎年の恒例行事である。彼は私の友人たちの中では少数派となっていた独身であった。彼女が欲しいと言っていたから、地元の友達の優希子を紹介しようか、と言ってみたのである。
「どうせ乗ってこないだろう。」と思っていたが、意外にも乗り気で優希子にも訊いたところ彼女もまた乗ってきたのである。
 私自身、半分は真剣だった。2人とも野球が好きという共通点はあったし、結婚願望もある。何より社会人になってからも定期的に会いたいと思えるほど素敵な人たちなのである。ダメ元で会って、「共有の話題で盛り上がればいいな。さらに進んだら面白いことになる。」ぐらいの気持ちで計画を進めたのであった。
 目的地は優希子の家の最寄り駅、つまり私の実家の最寄り駅でもある。結婚を機に引っ越したからやや遠くなったが苦になるような距離ではない。彼女がお店を予約してくれて、そこに私と恵一が行く形である。
気持ちを落ち着かせようと本を開くが、没入する前に乗り換える駅に着いた。ここで恵一と合流する。
 程なくして恵一が来た。きちんとした身なりである。
「服装決まってるね。」茶化し気味に言う。
「そのぐらいは気を遣わないとね。お前も今日はちゃんとしてるじゃん。」
「登山に行くのとは違うから。それに2人に恥をかかせる訳にもいかないし。」
土曜日の夕方の電車は平和そのものだ。混んではいるもののお出掛け帰りの家族連れや若者が多い。平日朝のように殺伐としていない。少し緊張している恵一を隣りにしていると私にも緊張が移るようである。よくわからない胸の高鳴りを携えながら駅に着いた。
 改札を出たが、まだ優希子は来てないようだ。ラインを送り、待つ。頻りに恵一が話しかけてくる。普段とは違う。彼は女性の友達の少ない私がなぜ優希子と懇意にしているのか色々と詮索してきたが適当に誤魔化した。そんなことを話していると待ち人が来た。彼女もまた落ち着いてはいるものの華やかさのある上品な格好をしている。私を確認して、隣りの恵一を見る。軽く挨拶と紹介をして、予約している店に向かう。
 堅苦しすぎず、かといってうるさくはない今日のような目的に打ってつけの店だ。この辺りの店選びの巧みさはさすがと言ったところである。案内された席に座り、飲み物を頼む。2人ともやや表情は硬い。乾杯をして、料理をいくつか頼んでから再度自己紹介を行った。宴は幕を開けた。最初こそ私が話を振りながらの形であったが、共通の趣味を持つ2人であるから時間が進むほどに盛り上がった。恵一は地元の友達であるかのように溶け込み、あっという間にこの飲み会は終わっていった。最後にラインを交換して駅に戻り、私と恵一はホームに下りた。
「お疲れ様。どうだった。」恵一に聞いてみる。
「楽しかったよ。いい子だね。礼儀正しいし、初対面だけど肩に力入らずに話せるし。」何故か私が誇らしい気持ちになる。
「それは良かった。だからこそ今日の会をセッティングしたんだけどね。ラインも交換した訳だし何かあれば連絡取ってみてよ。」
「うん。そうするわ。」
恵一と別れると急に体が重たくなったような気がした。
「私も少しは気負っていたのかな。身体は正直だ。」と心の中で呟き、家路を急いだ。

「ただいま。」元気に言ったつもりが、疲れを含んだ声になってしまった。
「おかえり。どうだった?」妻はリビングで映画を見ていた。目から好奇心が溢れている。
「どうって言われてもね。楽しく談笑して終わりよ。」ソファに腰をかけながら答える。
「初めて会ったんだからそんなもんか。あなたから見てどうなの。付き合ったりしそうなの?直感でもいいからさ。」
「うーん。友達にはなれても付き合うとか結婚は難しいかも。」思った通りを伝える。
「あー、何となくわかるかも。あなたと恵一さんって似てるからあなたと優希子さんみたいに趣味の合う友達みたいになっちゃうかもね。」
「俺の仕事は終わったからあとは若い2人に任せるよ。」ソファから立ち上がり、浴室へ向かう。
「何それ。とりあえずお疲れ様。」奈穂は再び映画を再生し始めた。
 疲れていたが、無性に妻を抱きたくなる夜だった。本能のままに動いて夜は更けていった。

第1話:https://note.com/light_cobra3799/n/naec0982af1e4
第2話:https://note.com/light_cobra3799/n/n3f50839382ca
第3話:https://note.com/light_cobra3799/n/n7f017105f79c
第4話:https://note.com/light_cobra3799/n/n9496262580d0
第5話:https://note.com/light_cobra3799/n/n2df3248b6a3f
第6話:https://note.com/light_cobra3799/n/nbee7ecba7d4a
第7話:https://note.com/light_cobra3799/n/n845430e9ef1d
第8話:現在地
第9話:https://note.com/light_cobra3799/n/nd82c0efc8a25
第10話:https://note.com/light_cobra3799/n/n085176c49803
第11話:https://note.com/light_cobra3799/n/na4cd46a10e51
最終話:https://note.com/light_cobra3799/n/n268a2ef79919

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