満天の星の下で 第6話【小説】

2018年4月20日

 今月1日私は異動になり、職場が変わった。この日は業務の関係で元の職場に出張だった。奈穂も異動したようだが、勤務地は変わっていないようだった。久しぶりに会ってお昼でも食べないかとラインをした。勤務地が同じだから見かけることはあったが、話したりはしなかったし、ラインで連絡を取ることも無かった。大きい会社なのが幸いして仕事で関わることも無かった。彼女からの反応は意外なものだった。金曜日で明日は休みだからディナーにしようというのだ。これには驚いたが積もる話もあるのかもしれないし、二つ返事で了承した。
 仕事は定時で終わり、会社のロビーで奈穂を待った。すぐに来た。手を振り近付いてくる。彼女を見るのは久しぶりだ。
「定時で上がれたんだね。」当たり障りのないことを言ってみる。
「うん。切り上げてきちゃった。」
駅に向かって歩き出したが、何となく彼女の雰囲気が変わった気がした。何かから吹っ切れたような感じだ。
「夕食を食べながら聞けばいいか。」と思い、帰宅ラッシュの電車に乗り込み、横浜方面へ向かう。
「あなたから急にラインが来たからびっくりしちゃった。どういう風の吹き回し?」
「え?特に深い理由は無いよ。異動になったからこっちに来ることも少ないだろうし、久しぶりに話でもと思って。」素直に思ったことを伝えた。
「ふーん、そう。仕事はどう。」窓の外に視線を逸らした奈穂が言う。
「まだ慣れなくて疲れるね。どうも肩に力が入っちゃう感じだね。奈穂は。」
「私も同じかな。覚えること多くて大変。」再びこちらを向きながら奈穂が言う。
ややぎこちない会話の2人を乗せて電車はダイヤ通りに西へ向かう。

 金曜の夜の中華街は混んでいた。当然と言えば当然だが、久しぶりに来るもので雑踏にうんざりする。少し前はこういうところにもよく行き、慣れていたものだが、めっきり訪れていなかったもので妙に疲れる。はぐれないように歩き、予約していた店に入る。飲み物を頼み、一息つく。
「電車も道も混んでいるね。金曜だね。」
「そうね、人混み嫌いなところは相変わらずみたいね。」微笑む彼女を見るのも久しぶりだ。
「こんな感じだったな。」付き合っていた頃を思い出す。
飲み物が運ばれてくる。
「乾杯。」グラスを合わせ、一口含む。グラスを置いて、一つ息をつく。
料理も運ばれてきた。一品目を食べ、再び飲み物を口に含む。
「やっと落ち着いたね。こういうのも1年振りか。」独り言のように言ってみる。
「そうだね。この1年間どうだった。」
「どうと言われても特に何も。休みの日は旅行ばかりしていたかな。とりあえず行きたいところは大体行けたと思う。それでも次々行きたい場所が沸き出てくるんだけど。」笑顔で応じる。
「本当に旅行が好きね。私も旅行に行ったり、趣味に勤しんだりって感じかな。」お互いぎこちなさが取れて、会話が弾む。
1年間という空白は2時間で語り尽くすには短すぎたようで料理は終わり、デザートが運ばれてきた。仕事の話もそこそこに休日何をしたとか、付き合うきっかけにもなった読書、最近読んで面白かった本の話、友達の話とにかく色々と話題は尽きなかった。彼氏彼女という枠が外れ、友達となった気軽さからか自然と盛り上がる。
「最初からこのぐらい自然体でいられたなら今も付き合えていたのだろうか。」そんな思いが心に浮かびつつ、食後の紅茶を飲み終えた。顔を上げると、立派な造りの店だったのだと今更気付く。装飾や調度品も立派だとあたりを見回すと、頭が冷静になっていくのを感じる。奈穂が食べ終えたのを確認して声を掛ける。
「じゃあそろそろ出ようか。」
「うん。まだこれから来る人もいるみたいだしね。」
会計を済まし、店を出る。
「美味しかったね。今日はありがとう。」
「こちらこそ楽しかった。誘って良かったわ。」
「連絡来たときは驚いたけどね。」彼女が笑う。
「どう。まだ早いし少し歩かない。」込み上げる思いのままに、後先考えている暇もなく脊髄反射のように言葉が出た。
「うん。もう少し話したいかも。」

 海沿いに出る。春の夜風は冷たく、火照った頭を冷やすには申し分なかった。潮の香り、波の音を聞きながらベンチに座る。自販機で温かい飲み物を買う。
「まだ寒いね。」上着の前を合わせながら彼女が言う。頷きながら夜の海と反射するビルや橋の光を眺めながらぼんやりする。彼女の方を見るべきか悩む。
「1年振りなのに、そんな感じしないね。」小さく奈穂が言う。
「そうだね、何だろう。落ち着くというか自然と色々話せちゃった。」
「私もだよ。付き合っていた頃よりもカップルみたいかも。」慎ましい笑顔を見せる彼女の方をみる。街灯の下、やや憂いを帯びた横顔が美しいというより神々しい。月下美人とでも言うべきか。答えに窮する私を見て、再び彼女が語りかける。
「そういえばやりたいことは何だったの。この1年でできたの。」
これも困ったなあと思いつつ、口を開く。
「半ば出来て、半ば思い通りにいかず、といったところかな。人生は長い。」
「何それ。意味わかんない。」缶コーヒーに口を付けた彼女が素っ気ない。
「言いたくないならそれでもいいけど。」再び視線を夜の海に戻しながら、拗ねたように言う。
沈黙が流れるがそれもまた心地よい。
「ああ、こんな感じだったな。彼女といる時は。」1年振りの感覚を私の心と身体は覚えていたようだ。持っている缶コーヒーに意識を向ける。まだ残っている。彼女の方に向きなおり、目を真っ直ぐに見つめ、口が動いた。あまりにも自然に言葉がすらすらと出た。自分を制御できないまま想いが迸った。夜風で冷静になっていたはずの心と身体はまだ燃えていたのだろうか。いやそんなことは無い。酔っていたのだろうか、それも無い。今日はお酒は飲んでいないのだから。確かに私は冷静だった。しかし、頭で考えられた言葉では無かった。

 ベンチから立ち上がった私たちは駅へと向かった。何も喋らなかったが彼女の目は海から昇る朝日を待ちわびていた。夜型の彼女がそんな目をするのを私は初めて見た気がした。改札を通り、駅のホームに上がる。まだ缶コーヒーを持っていた。すっかり冷めきっていたが、一気に飲み干してゴミ箱に捨てた。その味は意識の外であった。帰りの電車は混んでいたのだろうか。覚えていない。何時に家に着いたのかも覚えていない。はっきりしているのはこの日奈穂も私の家に来て泊まっていったことだ。
 私たちは心の赴くままに感じるままに抱き合っていた。お互いの傷をなめ合う動物のように慈しみあった。会わずに過ごしたこの1年間の軌跡を確かめあうように触れあった。お互いがお互いを求めあいつつも、愛を与え続けるような時間だった。激しさは無いものの満ち足りた愛に包まれる行為であった。

 翌朝は思いのほか早くに目が覚めた。強い眠気も相まってか昨夜のことは夢ではないかとの思いに駆られたが現実であった。奈穂は満ち足りた表情で寝息を立てている。頭をそっと撫でてから起き上がる。カーテンを開ける。薄雲が広がっていて朝日は靄の中にある。
「これは彼女の望んだ朝日では無いな。」そう思って踵を返し、コーヒーを淹れた。昨夜のものとは違い、熱すぎるコーヒーだった。
「寝不足の体には効くな。」一口含んだだけでテーブルに置き、しばらく経ってから飲み干した。
 奈穂は昼前に起きてきた。駅まで彼女を送り、改札口で別れた。家に戻り、洗濯やらの家事をしているとラインが来た。
「もう、すぐに返す必要もない。いつ返しても良いのだ。」そう思うと、長いその文章を噛み締めてからでも良いかなと思い、スマホを置いた。ぼんやりしているとお腹が空いていることに気付いた。遅い昼食の準備に取り掛かるため、キッチンに向かった。

第1話:https://note.com/light_cobra3799/n/naec0982af1e4
第2話:https://note.com/light_cobra3799/n/n3f50839382ca
第3話:https://note.com/light_cobra3799/n/n7f017105f79c
第4話:https://note.com/light_cobra3799/n/n9496262580d0
第5話:https://note.com/light_cobra3799/n/n2df3248b6a3f
第6話:現在地
第7話:https://note.com/light_cobra3799/n/n845430e9ef1d
第8話:https://note.com/light_cobra3799/n/nb3b5937754d2
第9話:https://note.com/light_cobra3799/n/nd82c0efc8a25
第10話:https://note.com/light_cobra3799/n/n085176c49803
第11話:https://note.com/light_cobra3799/n/na4cd46a10e51
最終話:https://note.com/light_cobra3799/n/n268a2ef79919

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