満天の星の下で 最終話【小説】

2026年11月20日

 金曜日の夜、飲み会に繰り出す人々終えて帰る人々を横目に私は竹芝のフェリーターミナルに向かっていた。仕事を終え、一旦帰宅した。着替えてから旅行用のリュックに着替えなどを詰めて再び家を出た。夜行便の船に乗り、八丈島に行くためだ。1度乗ったことがあるが、夜行便というのは否が応でもテンションが上がる。たとえ今日のように1人であっても。

 昨年の5月に優希子の結婚式は滞りなく執り行われ、私も出席した。素晴らしい式だった。私と優希子は「おめでとう。」「ありがとう。」と型通りの挨拶を交わしただけだった。それで良いのだろう。2024年11月のあの日以来、数度優希子にラインをしたが返事は無かった。結婚式の案内の定型文は来たのだが、それっきりだった。最後に送ったのが2025年6月。結婚式の1カ月後だ。あの日から2年間、時間が解決すると思ったが、焦がれる思いは増すばかりであった。それでも私は色々と考える中である境地に達していた。仕事や家庭など日常生活は不思議なほどに波風立たず、平穏そのものであった。

 出港のかなり前に着いたが、それなりに人がいる。ベンチは沢山あるので座れるが、外を歩く。ここから見える夜景がなかなかお気に入りだ。しかし、寒さに耐えかねて室内に戻る。伊豆諸島の観光パンフレットが置いてあるので読みながら、乗船開始を待つ。今日は特等室を取った。初めて乗るのでそれも楽しみだ。
乗船時間になった。船内でルームキーを受け取り、自分の部屋へ向かう。上の階へ行くほど静かになる。部屋に入る。ツインルームの良い部屋だ。テーブルに晩酌用に買った酒とつまみを置く。ルームウェアに着替え、早速缶を開けた。もう22時半になるから、早く寝たいというのもある。せわしなく動いていたため、気付かなかったがもう出港したようだ。カーテンを開けると、結構速い。沿岸の景色がすいすいと流れていき、これを肴に飲む。良い。これだけでも特等室を取った甲斐があったな、しみじみと思う。
飲み終えたところでカーテンを閉め、シャワーを浴びる。高揚感はあるもののベッドに潜るとあっさり寝付くことができた。

 船内放送で目を覚ます。午前4時半、三宅島に着くらしい。外はまだ夜である。起きても仕方ないので二度寝する。寝たり起きたりを繰り返しながら、だんだんと眠気が取れてきた。部屋を出て食堂で朝食にカレーを食べる。腹ごなしに船内を歩き回り、デッキにも出た。寒くて一気に目が覚める。再びベッドに横たわり、到着まで過ごす。
 やっと着いた。この達成感は飛行機では味わえない。宿の人を探す。車に乗せてもらい、世間話をしているとすぐに着いた。宿泊の手続きをして、レンタカーも一緒に借りた。動かない地面で少し休んでから車に乗り込む。快適とはいえ常に揺れている船では体がすっきりしない。
これで通算4度目の八丈島である。大体の地図は頭に入っている。適当に車を転がし、昼食を食べる店を探す。どこに入っても美味しいだろうからそんなにこだわらない。居酒屋のランチ営業が見つかった。
再び走り出す。適当にドライブをする。どこか目的地がある訳ではない。とりあえず一周した後、南原千畳敷に向かう。車を停め、溶岩のゴツゴツした地面を歩き、海に近付く。座りやすい適当な岩を見つけ、腰掛ける。

 陽が傾き始める。傍らにペットボトルを置き、時折口にする。波の音、空の色、心が洗われるようである。しばらく海と空を眺めた後、
「そういえば。」とあることを思い出し、立ち上がる。道の方へ少し戻り、それを見つける。
宇喜多秀家とその妻豪姫の石像である。何度も見ているし、像のある理由や彼らの生涯も説明を読んで知っているのだが、何故だか今日はこの2人を見ていると胸に込み上げるものがある。しばらくこの2人を見つめていたが、くたびれてきたので先ほど座っていた場所に戻る。寒くなってきたが、上着を持ってきているので気にならない。
空が段々と闇に包まれていく。一番星が輝き始める。ここで星空を眺めるのは奈穂と2人で来た時以来である。波の音に耳を委ね、星空を目で味わう。最高の場所である。
 完全に夜となった。宇宙に1人投げ出されたような気分になる。何もかもがどうでもよくなる。あの2人ももう見えない。無心になろうとしても、奈穂と優希子のことを考えてしまう。愛と恋。恋と愛。その意味を遂に私は知ることができたような気がした。その歓喜に取り憑かれ、もはや何も怖くない、全能感でいっぱいになった。人生というものを悟った気がした。この境地に辿り着いた以上為すべきことは何も無い。特に恋。これは何と残酷で美しいのか。これこそが本物である。私はもはや優希子と交わることはおろか、近付くことさえ出来ない。それでも心は、身体は、彼女を求め、私を焦がし、焼き尽くしてもなお燃え続けている。この炎を心に抱えることが出来た。素晴らしいことではないか。天寿を全うするまで、消えることは無い。どうしても消すことができない。しかし、私は今、自分自身の意思で消そうとしている。何と喜ばしいことか。ただ一つしかないその方法を取れる自分に酔いしれている。酔いしれても良いだろう。こうして美しいこの場所でその時を待っている。私は自分自身に歓喜していた。

 真っ黒な海と満天の星空を交互に見て、ふと思う。
「では、もう一方の愛はどうなるのか。」
知った気になっていたが、言語化できない。星の一つ一つ、波の一つ一つが私に問いかけてくる。次々と浴びせられる質問に溺れそうになる。明確な回答ができない。愛とは何か。愛するとは。愛されるとは。春の朗らかな陽気、晩夏の優しい夜風、秋の月輝く長い夜、冬の囲炉裏の赤い炭。情景は浮かぶのだが、言葉が出ない。熱情、狂気、盲信、沈溺、どれも違う。彼女のために私は何を与え、与えられたのか。
答えを探しても、具体的なものが出てこない。頭を駆け巡るのは奈穂との思い出ばかりであった。良い思い出だけではない。悪い思い出や日常な些細な出来事の何もかもが走馬灯のように駆け巡る。段々と今、自分がどこにいるのかもわからなくなってきた。風が吹いても、寒いのか暑いのかわからない。目を閉じる。脳裏にも星空が焼き付いているようだ。目を開き、傍らのペットボトルに手を伸ばす。水を口に含む。海と空は変わらず美しい。
「この美しさの中で自分は異物のようだな。」そう思い直すと全てが馬鹿らしく思えてきた。ペットボトルを手に立ち上がり、車に向かって歩き出す。夕食を食べたいがもう開いている店も無いだろう。
「明日の朝まで飯抜きか。」と思い落胆すると同時に
「こんな時でも腹は空くのだな。」と可笑しくなった。
宿に戻るとポケットにしまっていた一通の封筒を取り出した。中身は確認せず、外の喫煙所に行って燃やした。ここからも星空が見えたが海岸のそれほど星はよく見えなかった。

 空腹からかあまり眠れなかった。朝から開いている店を探し、食事にありつく。味は全然覚えていない。再び南原千畳敷に向かう。今はもう星も無く、朝の綺麗な空と海であった。あの2人の像と正対してみたが何も感じなかった。日帰り温泉に入ってから宿にレンタカーを返却し、空港まで送ってもらう。羽田まではあっという間だった。
日曜午後の喧騒を抜け、自宅に着く。
「ただいま。」
「おかえり。」奈穂が玄関まで歩いてくる。
「どうだった?」
「何度行っても良い場所だね。」
「私も行きたかったな。」奈穂は残念がる。
「また今度ね。」靴を脱ぎ、部屋へ向かう。
奈穂が入ってきていないことを確認して、机の引き出しを開ける。中は出発したときのままだった。1通の封筒を取り出し、少し逡巡したがそのまま引き出しの奥に押し込み、閉めた。ドアの開く音がして振り向く。
「どうしたの?帰ってくるなり、机に向かって。」
「何でもない。ちょっと仕事のこと思い出して、確認していただけ。」
「ふーん。」出ていこうとする彼女を後ろから抱き締めた。
「今度はなに?」突然のことに驚いたようだ。
「1日だけど久しぶりに貴女と離れると寂しくて。」我ながら心にもないことを言った。

その夜、ベランダに出て空を眺めてみたがここからでは星は見えなかった。「天寿を全うするまでなすべきことは2つか。この恋を外に出さず、消しもせずに持ち続ける。愛とは何かを知るために動き続ける。」気の遠くなるような長い年月を想像して眩暈がした。こんなに弱気になるのはいつ以来だろうか。それでも明日はやってきて日常は続いていく。冬の気配を含んだ夜風は身体に染みた。温かい飲み物でも飲んで寝よう。部屋に戻るため、夜空に背を向けた。大きい、だけど小さな一歩を踏み出した瞬間だった。

第1話:https://note.com/light_cobra3799/n/naec0982af1e4
第2話:https://note.com/light_cobra3799/n/n3f50839382ca
第3話:https://note.com/light_cobra3799/n/n7f017105f79c
第4話:https://note.com/light_cobra3799/n/n9496262580d0
第5話:https://note.com/light_cobra3799/n/n2df3248b6a3f
第6話:https://note.com/light_cobra3799/n/nbee7ecba7d4a
第7話:https://note.com/light_cobra3799/n/n845430e9ef1d
第8話:https://note.com/light_cobra3799/n/nb3b5937754d2
第9話:https://note.com/light_cobra3799/n/nd82c0efc8a25
第10話:https://note.com/light_cobra3799/n/n085176c49803
第11話:https://note.com/light_cobra3799/n/na4cd46a10e51
最終話:現在地

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