満天の星の下で 第11話【小説】

2024年11月16日

 何が私をここまで突き動かすのか。
「送るな。送ってはならない。」理性はそう叫んでいる。
「今更会って何になる。」頭では理解している。それでも手は動いてしまった。「近いうちに飯でも行かない?」
返信が来なければ、断りの返事が来てくれれば、きっぱり諦められるはずなのに。
身はすでに目的地に向かう電車に乗ってしまっている。この路線は乗ったことがあるが、今日降りる駅は初めて訪れる。改札口は1つ。小さな駅だが、出てすぐのところに商店街もあり活気がある。なかなか良い雰囲気だ。その商店街の方から近づいてくる人混みの中に彼女を見つけた。
「ごめん。待った?」いつもの、私を元気にしてくれる明るい声だった。
「今着いたところだよ。ここに引っ越したんだね。」
「歩いて10分ぐらいのとこに住んでる。便利で住みやすいよ。」
「旦那さんとはもう一緒に住んでるの?」
「ううん。これからまた引っ越して同棲する予定。お互い一人暮らしで部屋が狭くてね。」
「そっか。改めて結婚おめでとう。」うやうやしく述べる。
「ありがとう。まあ立ち話もなんですから。」笑いながら、ついてくるよう促され歩き出す。
なかなか渋い昔ながらの洋食屋に入った。メニューも一通り揃っている。
「こういう感じの店、あなた好きでしょ。」
「うん、良いね。メニューも豊富だし、美味しかったらまた来たいかも。」
何を注文するか迷ったが、ハンバーグ定食にした。
「お相手はどんな人なの。」水とおしぼりが届いたところで切り出す。
「普通の人だよ。1つ歳上の会社員。落ち着いているけど、遊びに行く時なんかはノリが良くてね。」
「そっか。良い人に出会えて良かったね。」
「うん。全然ドラマチックとかそういう感じでは無かったけど。」笑いながら言う。幸せそうな顔だ。
「決まるときなんてのは意外とそういうものなんじゃない。」
「あなたもそうだったの?」ニヤリとしながら訊いてくる。いたずらな表情だ。
「俺の話はいいよ。もう随分前のことだから。今日は優希子の話を聞きに来たんだよ。」こちらも言い返す。丁度料理が運ばれてきたので、食べながら馴れ初めやプロポーズの時の話なんかを聞いた。こちらは家事の分担など同居の本音なんかを話した。美味しいハンバーグだった。今度はチキンソテーを食べたいと思った。
「結婚式の場所は決まったんだっけ?」
「うん。近くなったら正式に招待状出すね。」
「楽しみにしてるよ。他には誰を呼ぶ予定なの。」懐かしい名前がいくつも挙がる。待ち遠しい気持ちになる。
店を出たところで、
「どうする。喫茶店もあなたの好きそうな落ち着いたところあるけど行ってみる?」純粋にこの喫茶店が気になり、行ってみたかったが、
「優希子の家に行きたいかな。」彼女は一瞬虚を突かれたような顔をしたが、全てを悟ったようで
「いいよ。何も無いし散らかっているけどね。」と笑った。
コンビニで飲み物やちょっとした食べ物を買って、彼女の部屋に上がった。
「シンプルでいい部屋じゃん。」
「ありがとう。一応引っ越しに向けてモノ減らしているとこなのよ。」上着を脱ぎながら説明してくれた。
「ジャケットかける?洗面所はその扉だから。」
「ああ。ありがとう。」手渡して、手洗いうがいを済ます。
「適当に座ってくださいな。私も手を洗ってくるね。」
腰を下ろして部屋を見渡す。綺麗で落ち着いている。
「はい。これ使って。」コップをテーブルに置いてくれた。
喉が渇いていたわけでは無かったが、手持ち無沙汰であるからか一口お茶を飲み、お菓子の袋を開けた。
「私にも頂戴。」そう言って1つ食べると、
「へー、初めて買ったけど美味しいじゃない。」一瞬沈黙が流れたところで彼女を見つめる。
「ん、どうかした。」その言葉が終わるか終わらないかのところで抱きついた。
「やっぱそれが目的?」不敵な笑みを浮かべてきたが優希子には似合わない。
「こういう表情は奈穂の方がしっくりくるな。」と思ったが、何も言わなかった。
「良いけど私、人妻になったんだよ。」また似合わない表情をした。
「まだ籍入れてないだろ。それに俺は俺で他人の旦那だぞ。」同じ表情を作ったつもりだがどうも違和感があった。
「じゃあ尚更止めなさいよ。」言う割には拒んではこない。そのままベッドに押し倒した。
「すまん、もう止められない。」
「わかったわ。来て。あと謝らないで。」こちらを見つめる目が少し潤んでいるように見えた。その表情が言葉にならないほど美しくて、唇を彼女のそれに重ね合わせた。
「またやってしまった。」そんな後悔の付け入る隙も無く、始めてしまった。
時を忘れ、過去も未来も全てを忘れ、ただ今目の前にあるその美を求めた。貪り続けた。自分がどこにいるかもわからない。それほどまでに没頭した。今までの人生でこんなことがあっただろうか。何も考えられなかった。それは彼女も同じようだった。男性と女性ではなく、一対の雄と雌になっていた。何時間が経ったのだろうか。精も魂も尽き果ててなお、抱き合っていた。まるでそれが当然であるかのように。
少し眠ってしまったようで目を覚ますとベッドには私1人だった。彼女はテーブルの近くに座っていた。
「もう16時になっちゃたよ。本当に私たちってなんだろうね。」穏やかな表情で笑いかけてくる。
「あなたも飲む?温かいコーヒー。」手に持っているマグカップを少し上に動かしながら言う。
「お願いするわ。」
「シャワー浴びてくれば。タオルは洗面所にあるやつ使っていいから。」
「ありがと、そうさせてもらうわ。」
服を着て、湯気の立っているコーヒーに手を伸ばす。
「美味しい、ありがとう。」
「このままじゃだめだよね。」いつになく真剣な眼差しをこちらに送っている。
「ああ。いつかマズいことになるね。」やや低い声で返した。オウム返しをするしか無いほどに何の案も浮かばない。いや、わかりきっているのだが言い出したくない。
沈黙に耐えかねたのか優希子が言う。
「会わなければ良いだけなのにね。可笑しい。」
「何も無かった頃の友達に戻れないのかな。」阿呆な返事をしたが、それしか思いつかなかった。
「無理だよ。会ったら求めたくなるでしょ。」図星としか言いようがない。
「もっと早くこうなっていたら?」ため息を吐きながら聞く。
「それも無理だったでしょ。ここまで焦がれること無かったと思うもん。」
「じゃあいっそのこと…」言いかけたところで
「それは言っちゃダメ。」遮られてしまった。
コーヒーを口に含む。
「砂糖とミルクあるけど。」首を横に振った。
「あなたがここまでする人だとは思わなかったわ。」
「俺も驚いている。」
「私にそれとも自分自身?」
「両方。」短く言い切った。
こんな問答をしていても時間の無駄、虚しいことはわかっている。それでも続けてしまう。この部屋を出たらもう戻れない。少しでも長くいたい。しかし、時計の針は残酷にそして平等に進んでいく。
「一つ聞いていい?」ずっと持っていたマグカップを置き、頷いた彼女を見た。
「俺とお前の思いは一緒なのかな。」
少し考えて優希子が答えた。
「…わからない。でも今までの行為が全てなんじゃない。」はぐらかされたような気もしたが、腑に落ちた気もした。
お互いここで思いを打ち明けあうことが無粋だということだけは一致しているようでそれを聞き出そう、確かめようとはしなかった。
秋の夕暮れは早い。カーテン越しの夕陽が沈み、みるみるうちに夜の帳が下りていく。タイムリミットだった。
コーヒーを飲み干し、立ち上がる。ハンガーに掛けたジャケットを取ってもらい、着せてもらう。目頭が熱くなる。
「ありがとう。」今までの全てに、そんな思いを込めて言った。
玄関に向かい、靴を履く手前で止まった。振り向いて抱擁を交わし、接吻をした。熱い熱いキスだった。そして苦かった。コーヒーの味だ。
靴を履いて再度振り向く。
「結婚式忘れずに呼んでくれよ。」明るい声で笑いながら言った。
「もちろん。」私に合わせて笑ってくれた。
「コップとかそのままでごめんね。」
「いいよ、そのぐらい。でも、そういうところ好きだな。」
「ありがとう。でいいのかな。」彼女は小さく頷いた。
「じゃあ、行くね。」
「駅までは見送らずにここで良いよね。」
「うん、そうじゃないとダメだと思うから。」
「じゃあまた。」と言いかけて言葉を飲み込み、玄関の扉を押した。無言で手を振り扉をそっと閉めた。
振り向かないように歩き続けた。駅までの道、電車の中、降りてから自宅までの道、理性と脳が必死に心の火を消火していたが、その甲斐なく燃え盛った。それでもこの日は冷静で帰宅してからの妻との会話、夕食のメニューを覚えていた。おそらく妻に嘘を吐くだけの冷静さが残っていたからだろう。

 今日は優希子に会いに行ったとは言わなかった。大学時代の男友達の名を挙げ、久しぶりに会ったのだと告げていた。

第1話:https://note.com/light_cobra3799/n/naec0982af1e4
第2話:https://note.com/light_cobra3799/n/n3f50839382ca
第3話:https://note.com/light_cobra3799/n/n7f017105f79c
第4話:https://note.com/light_cobra3799/n/n9496262580d0
第5話:https://note.com/light_cobra3799/n/n2df3248b6a3f
第6話:https://note.com/light_cobra3799/n/nbee7ecba7d4a
第7話:https://note.com/light_cobra3799/n/n845430e9ef1d
第8話:https://note.com/light_cobra3799/n/nb3b5937754d2
第9話:https://note.com/light_cobra3799/n/nd82c0efc8a25
第10話:https://note.com/light_cobra3799/n/n085176c49803
第11話:現在地
最終話:https://note.com/light_cobra3799/n/n268a2ef79919

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