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私の便利帳

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私が影響を受けた、クリエイターさんのノートを、集めたマガジンです。どれも大切なのでまとめておきたくて作成しました。
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2022年3月の記事一覧

生きづらさを抱えてなお、自分を認める

ADHDと診断された友人がいる。 彼はサラリーマンをしていたがうまくいかないことが多く、数年かけて徐々に心を崩していった。 そしてある日とうとう会社を休んでしまった。彼は電話越しには明るく、精神が疲弊しているようには見えなかった。 しかし、久々に会った彼は10キロくらい落ちたのではないかというほどやつれていた。私は彼の全てを理解する自信はなかったが、話を聞くことにした。 彼は、どうやら業務が重なり複雑になると、仕事の速度と精度が壊滅的に落ちてしまう質らしい。ずいぶん思

ひとつのことを極めないといけないという呪いにかかっていた話

 いわゆるスペシャリストって言われている人、世の中にはたくさんいますよね。  神絵師と呼ばれるイラストレーターさんとか、魚のことに異様に詳しい先生とか。  僕も、何かのスペシャリストになりたいなあ。と、そう思っていました。  そんで、今も同じように思っています。  でも、少し前の僕は、 「何かのスペシャリストになるのなら、他のことに目を向けてはいけない」  という呪いにかかっておりました。  簿記にすごく詳しくなりたいのなら、他の勉強をしている場合じゃない。  心理学の専

世界の歩き方世界の料理紹介買ってくればよかった(後悔)

明日は寿司を食べる予定があるので私の勝ち。 今日はめちゃくちゃストーリー仕立ての結構いい感じの内容の夢を見たので起きてすぐ急いで全部メモする、という夢を見た。夢のレパートリーが増えたことを喜びつつ、夢の中の夢系は疲れるので控えてほしい気持ち。自分がやっていることなので誰にお願いするわけにもいかないけれど。 最近、自宅にいる間はずっとGUのTシャツを着ている。オーバーサイズなメンズのシャツ、それもXLなのでめちゃくちゃでかいもはやワンピース。それの着心地がはちゃめちゃに良く

それってデータですよね。あなたの感想とかあるんですか?

タイトルは、ひろゆきさんの有名な言葉をアレンジしたものです。 この言葉をひっくり返してみました。 データに基づいて主張することは大切です。 根拠のない主張は、なかなか説得力を伴わないものです。 しかし、一方で主張を伴わないデータの提示に意義があるかどうかは疑問です。 つまり、主張+根拠の重要性を示すという点で、この記事とひろゆきさんの言葉は共通するのではないかと思います。 主張を伴うデータの提示とはいえ、データの提示は何らかの主張を伴うことが多いです。 これは以前

『NEEDY GIRL OVERDOSE』をVTuberたちはどうプレイしたか

というわけで、今日も今日とて『NEEDY GIRL OVERDOSE』 の話をしていきます。 前回の記事 ではブロガーやニュースサイトの『NEEDY GIRL OVERDOSE』評を紹介しましたが、今回の記事では、実際にYouTubeで配信している配信者がこのゲームをプレイする、所謂実況配信を紹介していきたいと思います。 といっても、僕はあまり普通のYouTuberに詳しくなく、VTuber、それも結構メジャーなVTuberぐらいしか見ていないので、紹介できるのもその

Vtuberは雑に始めろ。

 こちらのツイートを読んで思ったこと。  将来、じゃなくて今すぐなればいい。  内定を辞退する必要なんてない。準備もいらない。 Vtuberは雑に始めろ。 理由、4つ。 衝動や熱意には賞味期限があるから 最初からコストをかけても伸びとあまり関係ないから Vtuberは成長したほうが視聴者は嬉しいから 別に失敗してもいいから 衝動や熱意には賞味期限がある 「Vtuberになりたい!」  そう思った時、心の中には燃えるようなモチベーションがある。  しかし、準備

エッセイ:神聖かまってちゃん

 深夜になると聴きたくなるので、『神聖かまってちゃん』の話をします。と言っても、僕はバンドを追うという行為をしないから、代表曲しか知らないにわかも良いところですが。  初めにこのバンドを知った時は、インターネット上やテレビでの過激なパフォーマンスが目立ち、「ネットから目立とうとした暴れん坊」みたいなイメージでした。今ではすっかり順当なルートですが、当時は「ネットからメジャーへ行こうとしやがって」という気持ちもあり、どことなく距離を置いていたのですね。それが、今となっては僕もま

「いらないもの」を貰ってしまったときどうするか

自分もよく「ガッカリ」させてしまう贈り物にはギャンブルっぽいところがある。自分は良いチョイスをしたつもりでも、相手はガッカリ、なんてことはたまにある。いや、けっこうある。 正直ガッカリさせてる自覚がけっこうあるので、たまに「ハズレ」が回ってくるとそうだよね、みんなそんなもんだよね!みたいに安心すらするとき、ある。 「お互い様」って発想があると下手な贈られ物にも優しくなれて、そこそこ救いになると思うのだがいかがだろうか。 贈り物コミュニケーションから距離を置くつ

「インスタグラムってなんのためにやってるんだろう?」をきっかけに考えたこと。

◯私はインスタグラムが好きだ。 ●でも時々距離を置きたいとも思う。 ◯みんなが切り取った日常を知れることがおもしろいと思う。私が切り取った些細な瞬間を知って欲しいと思う。 ●でも時々、他の人の投稿を見ながら、自分の投稿を振り返りながら、「結局自己顕示欲の表れだよなあ」なんて思って、嫌になる。みんなは自分の喜びをシェアすることによって本当に心が満たされているんだろうか?私が何かをシェアしたいと思う時、その出来事やモノコトは自分にとって本当に大切なものとなりえているのだろう

身近な人におすすめされたものは試してみよう

生活していると「これいいよ!」とおすすめをされることがある。お菓子だったり、美味しいお店だったり、住む場所や、お金のことまで。 最近、J-WAVEのPOP OF THE WORLDという番組を聴いていて、その中で長濱ねるさんが「DOGA FOR YA」というコーナーを担当されているのだけど、そこで紹介される作品をよく観ている。週に1本(連続ものの場合は1作品)だし、時間的にも無理をしないで視聴できる。もちろん自分に合ったものばかりではないことを理解しているし、その話も「観て