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「インスタグラムってなんのためにやってるんだろう?」をきっかけに考えたこと。

◯私はインスタグラムが好きだ。

●でも時々距離を置きたいとも思う。

◯みんなが切り取った日常を知れることがおもしろいと思う。私が切り取った些細な瞬間を知って欲しいと思う。

●でも時々、他の人の投稿を見ながら、自分の投稿を振り返りながら、「結局自己顕示欲の表れだよなあ」なんて思って、嫌になる。みんなは自分の喜びをシェアすることによって本当に心が満たされているんだろうか?私が何かをシェアしたいと思う時、その出来事やモノコトは自分にとって本当に大切なものとなりえているのだろうか?そういった疑問が浮かんできて、むず痒くなる。

●インスタグラムが自分にとって心地よくないと感じる一つの理由には、写真での表現がメインに据えられていることがあると思う。私が一番好きな表現方法である「ことば」が二の次になっているサービスだと思うのだ。だから時々「ことば」に飢えて私はnoteにやってくる。

◯でもそれでもインスタグラムをメインに使い続けるのは、手軽だし、みんなが使ってるから。一言二言で自分の日常を発信できるし、自分が普段関わっている人もそこにいるから、自分の表現(というと大袈裟だが)を見てほしい人に見てもらえる。無論、写真もとても好きだ。撮るのも見るのも。

●ただ、最近、いくつかの出来事をきっかけに、「本当に大切なことは誰にも知らせずに、自分の心の中に留めておきたいものかもしれない」と考えたことがあった。兄弟3人で楽しく過ごした休日のこと、友達に選書してもらってとっても嬉しかったことなどは誰かにシェアしたいとは思わなかった。今思えばそれは、その瞬間を楽しむのに精一杯で、それを誰かにわかってもらわなくても自分が一番その幸せを噛みしめられている自信があったからだろう。そんなことを考えていたら、こないだタイムリーな文章を見つけた。

noteの文章を一つのきっかけに有名になった鈴さんの言葉が好きだが、上記の文章はいつも以上に痺れた。

「誰にも見せたくない本当に大切なものを誰しもが持っている」世界線は素敵だと思うけど、「お互いの3、4番目以降に大切なものを交換しながら生きている」世界線はなんだか虚しいような。

私は周りの人に、自分にとっての3、4番目に大切なものを渡しているつもりはないけど、かといって自分にとって一番大事なものを与えられている自信もない。

自信は、ない。でもだからこそ、自分が大切にしたいと心から思う相手には、自分が大切にするものを渡せる人になれるように努力したい。完璧にはできないかもしれないけど、「こういう人でありたい」と思い続けることが大きな一歩だと信じよう。

早速有限実行をしようじゃないかってことで、最近出会った「誰にも見せたくない本当に大切なもの」を記し、結びとさせていただく。最近読んで私のバイブルの一つに仲間入りした『旅をする木』(星野道夫)の一節だ。​

「人間の風景の面白さとは、私たちの人生がある共通する一点で同じ土俵に立っているからだろう。一点とは、たった一度の人生をより良く生きたいという願いであり、面白さとは、そこから分かれてゆく人間の生き方の無限の多様性である。」

今日もみなさんが少しでも長くおだやかな時間に包まれていますように。願いを込めて。

2022/03/01 モロヘイヤ

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