ひとつのことを極めないといけないという呪いにかかっていた話
いわゆるスペシャリストって言われている人、世の中にはたくさんいますよね。
神絵師と呼ばれるイラストレーターさんとか、魚のことに異様に詳しい先生とか。
僕も、何かのスペシャリストになりたいなあ。と、そう思っていました。
そんで、今も同じように思っています。
でも、少し前の僕は、
「何かのスペシャリストになるのなら、他のことに目を向けてはいけない」
という呪いにかかっておりました。
簿記にすごく詳しくなりたいのなら、他の勉強をしている場合じゃない。
心理学の専門家になりたいのなら、ゲームをしている場合じゃない。
ブロガーになりたいのなら、プライベートはすべてブログに当てよう。
そうしないといけない、みたいな意識が強すぎたんです。
「何かのスペシャリスト」を目指すのは、決して悪いことではない。
でも、だからと言って「それだけをやる」ことが、必ずしも誰にとってもよいことだとは限らないのだと、僕は思います。
高校の頃、テニスばっかりやってたんですけど、今思えばあれは熱中と言うよりも、「そこにしか居場所がないから」と決めつけて、居心地の良い場所にすがっているだけの、「逃げ」だったように思います。
そんなこと言われたら、高校の頃の僕はきっと、憤慨どころじゃ済まないだろうけど。笑
つまりは、「スペシャリスト」になりたいからと言って「他のこと」をやっちゃいけないわけじゃない。むしろ、「他のこと」が「スペシャルなスキル」をより一層スペシャルにするような可能性だってあるのだから。と、考えるようになったんです。
すると、なんだかすごく楽になった。
なんというか、圧倒的に楽しいと感じるようになったんですよ。
あまり自分のやりたいことに関係なさそうなことでも、興味を持ったらどんどん調べてみたりとか。
何というか、「自分の好奇心を解放」したら、すっごい生き生きしだして。
文章とか、創作とかも、いろんな体験を通して表現の幅が広がるように感じます。
「あ、こういうときって、こんな風に感じるんだな」
「このドラマのこのシーンを見て思い出したけど、小さい頃の僕は、周囲と違った考え方をしていたなあ」
と言ったように、吸収率が全然違う。
逃げるのではなく、挑戦的に、いろんなことに取り組んでいく。
自分が食べたもので、自分が作り上げられていく。
そしていつか、僕だけにしか作れない何かを生み出せるようになるのだと。
そんな予感に胸を高鳴らせていたりする、今日この頃です。
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