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生きづらさを抱えてなお、自分を認める

ADHDと診断された友人がいる。

彼はサラリーマンをしていたがうまくいかないことが多く、数年かけて徐々に心を崩していった。

そしてある日とうとう会社を休んでしまった。彼は電話越しには明るく、精神が疲弊しているようには見えなかった。

しかし、久々に会った彼は10キロくらい落ちたのではないかというほどやつれていた。私は彼の全てを理解する自信はなかったが、話を聞くことにした。

彼は、どうやら業務が重なり複雑になると、仕事の速度と精度が壊滅的に落ちてしまう質らしい。ずいぶん思い悩み自死も考えてしまうほどだったそうが、診断されたことで幾許か気が楽になったらしい。

本人曰く「障害とわかって救われた」と。

私は、彼に拠り所が見つかってよかったと思った。

自己正当化する人を敬遠する世の中だが、それが自分を認めてくれるものならなんだっていいと私は思う。逃げ道がないと、人は生きていけない。

その後彼は職場の理解を得られ、もう少ししたら復職するつもりらしい。

数週間後、彼に会うと、前回会った時よりさらに痩せていたが、やつれているというよりどこか引き締まっているように見えた。

聞くと、2週間前から筋トレを始めたらしい。

自信のない表情がデフォルトだった彼からは想像できないほど、生き生きとした表情をしている。1時間ほど会話する中で、診断される前の老け込んだ表情は微塵も感じ取れなかった。

別れた後、なぜか自分も清々しい気持ちになる。

誰しもが自分を肯定できる世界であって欲しいものだ、そんな思いが脳をめぐる夜だった。



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