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日義

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長野県木曽町日義 旧日義村だった地域です 宮ノ越・原野・正沢原の区域に別れています 中山道の面影と木曽義仲の旗揚げの地です 農村と便利さのバランスが良い地域です 木祖村や伊那市な…
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#木曽義仲

歴史・人物伝~番外コラム:木曽義仲にロマンを感じながら

歴史・人物伝~番外コラム:木曽義仲にロマンを感じながら

平安時代末期の源平合戦の頃、平家を京の都から追い出し、都を制圧した武将がいました。木曽義仲の名で知られる源義仲です。後に鎌倉幕府を開いた源頼朝にとって一門最大のライバルと言われた人物でした。

長野県に住む人にとっては、県歌「信濃の国」で佐久間象山、仁科五郎盛信らと並んで歌詞に登場する有名人であり、「地方から中央に進出した」という点ではヒーロー的存在でもあります。

ただ、当時の一次史料や二次史料

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旗挙八幡、義仲偲ぶ その①

旗挙八幡、義仲偲ぶ その①

信州のご当地ソングを漁っていて、ダ・カーポの「木曽の恋歌」という歌にめぐり逢った。
1980年代の歌だそうだが、なんともやるせない哀愁と詩情にあふれていて、ご当地ソングに演歌が多い東北とは一味違っている。
宿場のひとつひとつを丁寧に歌詞に歌い込んでいて、完成度もひそかに高いようだ。
「木曽路はすべて山の中」という島崎藤村の小説「夜明け前」の一節にインスパイアされて作られたかの歌詞ではあるが、それと

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義仲駒つなぎの桜

義仲駒つなぎの桜

中津川市神坂の霧ヶ原には牧があり、その名残として付近に牧や馬籠の地名が残るのも偶然ではなく、名馬「するすみ」を産したとも伝えられています。また丸山城近くに桜があり、木曽義仲がこれに駒をつないだと伝えられています。

木曽郡の義仲伝承地

木曽郡の義仲伝承地

【義仲とのかかわり】

 義仲は2歳の時、父を討たれた。父の所領があった埼玉県から木曽郡の中原兼遠のもとに母と共に身を寄せたという。中原兼遠にはのちに樋口兼光・今井兼平と名乗る息子たちがいて、共に育ったという。(平家物語)

 巴も中原兼遠の娘だという。(源平盛衰記)

 義仲の元服前は平家物語にも具体的な記述がなく、木曽郡のこる様々な伝承が義仲の少年・青年時代の手がかりである。
 

■中原兼遠

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