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正しさの主張はいずれジハードを産む

ハロー、みなさんこんにちは。
麻結です。
みなさん元気にしてますか?

最近眠い日が続いていたのですが、徐々に眠気がおさまってきました。
夏のせいでしょうか?

今日は、ジハード(聖戦)の話をしますね笑

人が正しさをそれぞれ追求するとそれはジハードになるという説です笑
ジハードって言葉、日常でこんなに使うのは、わたしだけかもしれないですけど笑
あ、ジハードあそこ起きてるな〜とかって言っちゃいます。

自分が思う正しさと相手が思う正しさを主張しあうと折り合いがつかない事ってよくあると思います。だって、それぞれが思うこと、考えることって自由じゃないですか。それがいかに正しいかということを主張して、証明して、正しさの主張のしあいで、勝ち負けを決めようっていう発想が出てきてしまう。そうなると今度は、どっちかが正しくって、どっちかが間違ってるって決めようとしてくる。第三者から見ると「それぞれの意見だよね」って思うことを、とうとう「どっちが正しい?」って聞いてくる。。いい迷惑です。。

そう、正しいは主張してはいけないのです。

なぜかというと、この世にいる人全員、誰一人として同じ世界が見えている人はいないからです。
は?何言ってるの?と思ったあなた、これは事実ですし、今後、全てこの世界線で話は進めていきます。まぁ、理解できないかどうかはさておき、面白いと思うので、最後まで読んでいってください。

想像してみてください。実際、それぞれの人が見えてる世界っていうのはひとりひとり微妙に違っているはずです。同じ時刻に同じものを見て、たいへんしたとしても、全く同じ場所で同じものを同時刻に見ることはできません。

いいですか?もう一度言います。
100%同じものを見ることはできないのです。

たとえ、同時刻に同じ場所で何かを見たとしましょう。ですが、その人の身体の分(エーテル体のサイズ分)だけ違う角度でその出来事を見るのです。ね?100%はあり得ないでしょ?

そうすると見え方っていうのが変わってきます。光の具合が違ったり、距離や角度が違うことによって全体のとらえた形状が違うかもしれません。さらにいうと人間は目に見えていない裏側の部分を脳で保管します。そうなってくると一人一人の脳の判断によって異なる認識になるのです。さらに茶雲しくていた場所が違ったり、人種や年齢、育ってきた環境、受けてきた教育、経験などが異なってくれば、その瞬間に感じた印象が異なってくるかもしれない。つまるところの解釈ですよね。さらに人というのは出来事の記憶よりもその時に感じた感情の印象が上回り、時が経つにつれて記憶が徐々に事実とは異なってきて「事実」となってしまうこともある。

というわけで、全ての人が全く同じ世界が見えている人に出会うことは難しいのです。そういう意味でいえば、人間一人ひとりは孤独だし、一人ぼっちっていう感覚があるのは致し方ないことではあるんだけれども、同じ空気感だとか似てるものっていうのをその時々でシェアするってことはいくらでもできると思います。

で、ジハードの話に戻すと、

ジハードを起こすことの意味は全くない。

だからそういう世界において、正しさを主張することは誰も証明できないことだからして、正直意味が不明と言っても過言ではないし、また、自分が正しいと思うことを人に強要することは、誰かを不幸にすることと似ている。これをわたしは黒魔術と呼んでいます。(他人を無理やり変えようとする行為のこと)

最近身近に感じるジハード

ちょっと早速バンされそうな例え話なんだけど、事実なので、そのまま書きますね。昨今、ヴィーガンがSDGs的な理由で浸透してきているように思うのですが、SDGsに興味がある知り合いが、ヴィーガンの人ってこわいイメージがあると言っていて、はて?草食なので、穏やかでLOVE&PEACEなイメージなんだけど?と疑問に思っていたのですが、最近2回ほど、あこれか、という出来事を目にしました。簡単にいうと一部のヴィーガンじゃない人を全否定する人たちでした。某革製品で有名な老舗高級ブランドの前で、デモを行っていたのと、愛猫家のヴィーガンの方が、この世から肉なんてなくなればいいのにと怒っているのを耳にしました。

前者に関する疑問に関しては、仮にこの世から革製品を扱っている老舗ブランドがなくなったとして、ファッションがかなり衰退するし、原子時代から人類の培ってきた文化を放棄するのかと言ったら、それはかなり乱暴なことで、生産量をミニマムにして新作の量を減らすとか受注をにするとか何かあるわけで、温和な解決策を折衷してほしいところだと思うし、
後者に関しては、筋肉がある以上、動物が存在している以上「肉」は存在しているわけだが、食べ物としての「肉」が存在しなくなったとしたら、例えばエスキモーの人はどうするの?とか、飼い猫は肉食なのにどうなるの?ペット用の肉もなくなるよ?まさに飼い猫(犬)に手を噛まれるということになっちゃうんじゃあ?といったことが浮かんでくる。

いずれにせよ、食は文化だし、自由。あと環境や体質もある。

ヴィーガンに関しては(そうでなくてもだけど)様々なベクトルの理由が入り混じっていて、ヴィーガンの人がもし増えたら地球環境にやさしいよねとか動物愛護の精神で、もちろん無駄なセッショウはダメだよねとか、健康に良くないとかさまざまな理由があると思うんです。

原始時代とかの話を考えても、海の生物をとって食べてる民族だったり、動物を追っていろんなところに移動しながら生活していた民族がいたり、森の中で木の実とかを採って食べていた民族がいたと思います。でも、冬の間、木の実が採れなくなって、貯蓄分だけで難しいってなったときに狩猟民族の人がちょうど貯蓄していたお肉とかマンモスのお肉とかを与えてもらったからその場をしのげたっていうことももしかしたらあったんじゃないかな?って思うと、じゃあそこで肉を食べるってことを全否定してしまうって、確かに乱獲とかそういうのはよくないことだと思うし(それで絶滅した動物も確かにおります)無駄な廃棄もよくないことだけれども(これは植物も痛みを感じるから同じだよ)全員がヴィーガンになったらっていう発想はちょっと極端な気がするので、みんながお互いに受け入れるっていう体制をどんどんとっていったらもっとポジティブで素晴らしい未来が見えてくるのかなあって思っています。

それぞれの世界では、それぞれが正しい。

自分が正しいんだ!とか否定的なことを言って相手を攻撃するよりも、例えば、ヴィーガンになったら体が軽い!腸内環境が良くなった!痩せた!お肌が綺麗になった!魂がキラキラして楽しい!とか、どんどんどんどん自分がわくわくわくしている姿っていうのを発信して、いいな、素敵だなと思ってもらって、そういう仲間が勝手に増えていったら同じことなんじゃないかなと思います。その方が全員が幸せな世界って気がしないですか?

だからみんなが幸せな世界を作ろう。

自分は自分、人は人っていう感覚をしっかり感じられるようになると自分軸でちゃんと選択でき、他の人の意見に左右されることなく、自分で楽しい道を選択できるようになっていきます。

さぁ、ジハードなんかしてないで(黒魔術もダメですよ〜)キラキラわくわくした世界をどんどん作っていってくださいね。

他人軸に踊らされているかも?と思った人はこちらも呼んでみてね!


次回は、黒魔術と白魔術のお話にしようかな〜。リクエストなどがあったらDMもしくはコメントよろしくお願いします。
相談も受付けてます!
フォローもよろしくね!

麻結でした〜。
ぴぃしゅー!

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