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大事が起きる前にルールを変えるのが大事

 2024年は災害、大事故の幕開けとなった。
 まずは、被害に遭われた方々にお見舞い申し上げたい。

 1月2日(火)に羽田空港で起きた航空機事故では、炎上する旅客機から乗客乗員379人が18分で全員無事に脱出し、国内外から驚嘆された。

 私はこの奇跡的な出来事は、日本人だからこそという要素が大きかったと思う。
 震災においても、日本人はパニックにならず、暴動が起きない。
 ルールを守り、譲り合い、辛抱強く我慢する。
 もちろん、中には不心得者はいる。
 だがそれは少数であり、大多数の日本人は忍耐をもって秩序を維持するのだ。

 今回の脱出において、乗員の方々の判断、誘導が素晴らしかったことは、言うまでもない。
 しかし、その乗員の方々の避難指示にきちんと従い、考えられうる最短時間で脱出を完了させたのは、先述の日本人のもつ特徴にあるだろう。

 日本人のこういった行動特性を育むことに、学校教育は大きく関わっている。
 日本人は、学校どころか、幼稚園・保育園時代から避難訓練を受けて育つ。
 幼いときから、「おかしもち」を徹底的にたたきこまれるのである。

 「おかしもち」とは、

お……押さない
か……駆けない
し……喋らない
も……戻らない
ち……近寄らない

の5つの頭文字だ。
 地域によっては、「おかし」の3文字だったり「おかしも」の4文字だったりする。

 災害が起きたとき、人を押さないこと、走らないこと、喋らないことを、日本人は子どものときから脳裏に刷り込まれて育つ。

 今回の航空機事故において、乗客がみんな走って出口に殺到していたらどうなっていただろう。
 押されて転倒し、後から来た人たちに踏まれて大けがをした人もいただろう。
 また、みんながパニックになり、大声を出していたらどうだっただろう。
 せっかくの乗員からの的確な指示も、乗客の耳に入らず、安全に速やかに避難することはできなかっただろう。
 さらに、日本人なら当然なのだが、日本人は順番を守る。
 これ、外国では当たり前でない。
 海外旅行経験のある人なら分かるだろうが、海外では列への割り込み、人を抜かすなどけっこう当たり前だ。
 日本人のように、満員電車を整然と乗り降りすることはない。
 今回のような命がかかった大事故の場面、海外では我先にと入口への殺到が起きたかもしれない。

 乗員の的確な判断、指示、そして、その指示を落ち着いて聞き取り、パニックになったり入口に殺到したりせず、「おかしもち」の原則で避難行動をとった乗客たち。
 この、乗員乗客の素晴らしい連携があって、今回の脱出の奇跡は成立した。
 同じ日本人として、私は誇らしく思う。

 先日、ある国で暴動が起きた。
 スーパーマーケットが襲われ、略奪が起きた。
 亡くなった人もいる。
 地震が起きたわけでも、航空機事故が起きたわけでもないのに。
 残念なことだ。
 外国では、ときどき暴動発生の報道を聞く。
 原因の1つには政情不安や貧困がある。
 日本は、いろいろ言われてはいるが、政情は安定しているし、貧困を理由とした暴動も最近は聞かない(たとえば、江戸時代は、貧困を理由とした暴動「米騒動」があった。学校の歴史の授業で習ったのを覚えている人もいるだろう)。
 日本人が常に冷静に行動できるのは、こうした政治・経済が一定の安定を保っていることも理由だろう。

 また、仕事への責任感も日本人は高い。
 10年前、ある国で起きた観光船の沈没事故。
 このとき、真っ先に逃げ出したのは乗員だった。
 今回の羽田の旅客機事故とは真逆だ。
 乗客を置いて、真っ先に逃げ出した某国の観光船船長。
 乗客の避難完了を見届け、最後に脱出した我が国日本の機長。
 論じるまでもない。
 まるで映画のようなエピソードだが、事実なのである。

 今回、大きな事故原因として考えられているのは、管制塔からの指示の言葉だ。
 旅客機と衝突した海上保安庁機の機長は、待機順位を示す「ファースト」という言葉を、「最初に直ぐ発進して良い」との意味にとったらしい。

 たしかに紛らわしい。
 空港現場では、これまでも、この「ファースト」という言葉の誤解による、ヒヤリと感じさせるような出来事、起きていなかったのだろうか?

 1件の重大事故の背後には、重大事故に至らなかった29件の軽微な事故が隠れている。
 さらにその背後には、事故寸前だったヒヤリとしたりハッとしたりする300件の出来事が隠されているというハインリッヒの法則(ヒヤリハットの法則)がある。

 私は知らないが、もしかしたらこの「ファースト」という言葉は紛らわしいからやめようという意見はこれまで空港現場でもあったのかもしれない。
 だが、これまでずっと「ファースト」は使われてきた。
 でも、この事故を期に、もう「ファースト」という言葉は使わなくなったそうだ。
 私は知らないが、管制塔からの英語指示は万国共通ではないのか?
 日本だけ変えるというのが通るのたろうか。
 あるいは「ファースト」は日本独自の指示だったのか?

 私が学校現場で変えたほうがいいと思っていることの1つに子どもの人数確認がある。
 たとえば学校では、遠足や修学旅行などの校外学習のとき、人数確認を次のように行う場合が少なくない。
 子どもたちをいくつかの小グループに分けておく。
 集合時の人数確認の際、各小グループの班長に自分の班の人数を数えさせ、それを担任教員に報告させるのである。
 私は自身が一般教員のときから、この方法を問題視していた。

 人数確認の責任を子どもに科しているからだ。
 全ての班長から
「全員います」
の報告を受け、遠足バスが出発してしまった。
 ところが実は、ある班長が確認を間違えたり、あるいは確認していないのに「全員います」と嘘の報告をしたりしていたために、子どもを1人取り残したままバスが出発してしまった――実は、そんなことはこれまで起きている。

 そうなったとき、学校は人数確認のミスを誰のせいにするのだろう?
 もちろん、ルール上は最終責任者は校長だ。
 だが、現場では担任が、班長だった子を
「おまえがちゃんと確認しないから、こういうことが起きたんだぞ」
と責め、ミスを子どものせいにしないだろうか。

 私は一般教員時代から校長の今に至るまで、
「人数確認は教員自身が行うべき」
ということを何度も訴えてきた。
 しかし、なかなか浸透しない。
 班長に数えさせるやり方、班長方式が、相も変わらず、日本各地の学校で行われ続けている。

 班長方式を採る教員の言い分はこうだ。
「子どもたちが、自分たちの人数を自分たちで確認することで、自主性を育てている」

 そんな自主性を育てるのに、校外学習の人数確認の場を使うことなどない!
 そうでなくても日本の学校には、集団行動だの、子どもたちの自主性だのを育てる場面が山ほどあるのだ!
 そっちを使え!

 子どもの数は教員が数える!
 これを日本の法律にしてもいいくらいだ。
 幼稚園バスへの園児の置き去りによるいたましい事故は、教員自身が登園しているはずの子どもの人数をしっかり把握しないために起きている。
 幼稚園バスにセンサーを付けるだの、監視カメラを付けるだの、園児にクラクションの鳴らし方を教えるだのは、もちろん良い。
 危機回避に複数の手立てがあったほうが良いからだ。
 だが、いちばん大事なのは教員自身による子どもの人数確認である。

 大事故が起きないとルールが変わらない--という現状を変えなければならない。

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