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愛情は自分で満たすものであり、喜びや幸せも自分で生み出すもの。

以前、自立についての記事を書いたことがあったが、最近は「精神的自立」についてよく考えている。

精神的自立とは、経済的な自立とは違い、お金があれば果たされるものではない。
たとえお金があったとしても、他人に依存している状態であれば、本当の意味で人間的に自立しているとは言えない。
精神的な自立とは人間関係の自立とも言い換えることができ、他人に過度に依存したり執着しない状態のことを指す。

実際、精神的な自立をは果たすことはとても難しい。
経済的な自立の場合は一人で生活できるお金を稼げば解決できるが、精神的な自立の場合は、どんなにお金を稼いだところで心が子どものままだと永遠に自立できない。

「人はひとりでは生きていけない」というのは明白な事実である。
社会の中で生きている以上、少なからず他人と関わり合い、誰かしらに迷惑をかけながら生きているのが人間という生き物だ。
「私は誰にも迷惑をかけていません」と言う人は、それは単に気づいていないだけであり、自分の都合のいいように人間関係を解釈しているだけである。

さて、他人と関わり合いながらも、精神的な自立を果たすとはどういうことだろうか。
現代では一人行動する人が増えているとはいえ、まだまだ「人間関係は多ければ多いほど良い」という考えが一般的である。
友達が多ければ多いほど、人生は豊かになり、幸せを感じる機会も増える、というのが風潮だ。

他人や恋人、家族との関係が良好であればあるほど、人生は愛と幸せに幹溢れ、充実した意味のある人生が実感できる、そう書いてある本も数多くある。
しかし、人生の幸せや喜びといったものは、人間関係からでしか得られないのだろうか。

たしかに、他人と分かり合い、共感し合い、楽しんで笑っている時間が幸せなのはわかる。
だが、幸せにも数多くの形がある。
トルストイは「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」と述べているが、それは嘘である。
人が何に幸せを感じるかは、人の数だけ存在するのだ。

そう考えると、決して人生の幸福は人間関係だけで決まるわけではないことがわかる。
他人が幸せを感じる瞬間が、自分が幸せを感じる瞬間と一致するとは限らない。
他人にとって価値がない時間でも、自分にとっては楽しくて幸せで充実を感じる時間かもしれない。

つまり、結局のところ、人生の喜びは自分で生み出すものであり、自分で自分を満たすことが何よりも大事なのだ。
そして、自分で自分を満たすために必要なのが精神的な自立である。

「友達は多ければ多いほど良い」という人は、友達の多寡で人生の幸せを測っている。
「恋人がいないと寂しい」という人は、恋人の有無で人生の幸せを測っている。

だが、肝心なこととして、友達や恋人、家族といった存在はずっとあなたのそばにいるわけではない。
もしかしたらケンカして別れるかもしれないし、事故や病気でいなくなるかもしれない。
人間である以上、明日が来る保証はどこにもない。
そうしたとき、人間関係に依存している人、自分の喜びや幸せがすべて他人によって成り立っている人は、人生での喜びの多くを失ってしまう。

しかし、精神的な自立を果たしている状態であれば、そのようなことは起こらない。
もちろん、友達や恋人、家族を失うことに対する痛みはある。
でも、それによって自分の人生が破滅したり、不幸になったりはしない。
一時的に悲しい気持ちになったとしても、人生の喜びや幸せがなくなるわけではないのだ。

言い方は悪いが、精神的な自立を果たしている人にとっては、「他人」という存在は決して必要不可欠な存在ではない。
友達がいれば楽しいけれど、いなくても楽しいのだ。
それが本当の意味で精神的な自立を果たしている人間である。

たまに愛情に飢えている人を見かけるが、愛情を他人に満たしてもらおうとしている時点で、その人は精神的な自立とはほど遠い場所にいる。
愛情のタンクも本来は自分で埋めるものであり、自己愛こそ究極の愛情の形なのだ。
愛情のタンクが空っぽの人は、他人に満たしてもらおうとする。
一方、愛情のタンクを自分で満たせていれば、それほど過剰に愛情を欲しがらず、むしろ相手に与えるようになる。
つまり、愛を持っていない人だけが愛を欲しがるのだ。

おもしろいことに、精神的な自立は年齢によって果たされるものでもなく、10代の若い人でも精神的に自立している人は少なからずいる。
その一方で、30代や40代になっても精神的な自立を果たせず、いつまでも他人に依存しながら生きている人もいる。

他人に依存している生き方が絶対にダメなわけではないが、他人に依存している以上、人生のあらゆる側面が他人によって支配されていることを忘れてはいけない。
そうした生き方はとても脆弱であり、自分以外のものによって自分の人生がコントロールされている。
たとえ人間関係が希薄になろうとも、私は自分の人生を自分の手でコントロールして生きていきたい。

自立は精神的なものであり、愛は自分で満たすもの。
自分を愛することができるからこそ、他人を愛することができる。
そして、人生の喜びや幸せを自分ひとりで生み出せてこそ、本当の意味で精神的に成熟した大人になれるのである。


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